夢の中でもダジャレ

「裸って、ラッテ・ミエーレ、見えーれ、

さあ、これを3回唱えよう」

というツイートが流れて来て、

「エ?」

と返信しようとしたところで目が覚めた。

 

夢を正確に記録することよりも、ネタ文としてスムーズに読める形にアレンジする色気を優先すると、上のような書き方になる。

じつは、夢の中で「見えーれ」の箇所は確認していない。ツイート文が冒頭から順次目に入りここに差し掛かるも、確認できず想像で補った。

というか、ダジャレを成立させるためには、ここは必然的にこうなる。読まなくても判る。夢の中でもそう思ったし、目覚めてからもそう思う。

夢の中のロジックと現実世界のロジックとは別物だ。夢の中でダジャレが成立し、かつ目覚めてからそれを理解できる、というのは稀なケースだ。

あと「ラッテ・ミエーレ」だったか「ラッテ・エ・ミエーレ」だったかはっきりしない。むしろ「エ?」とリプする願望が「ラッテ・ミエーレ」を要請したのではないか。

(このバンドはアルバムによって名義が「ラッテ・ミエーレ」だったり「ラッテ・エ・ミエーレ」だったりすることに基づいてます。)

相互フォローの方の RT もしくはいいねで TL に流れてきたのだった。

 

このシーン前段で「引用 RT の引用 RT」を見た。

引用で読解力不足を指摘・揶揄するツイートを別の方がさらに引用して、元ツイートの真意を説明し「さあ読解力不足はどっちかな?」というもので、夢の中で私は大層面白がったけど、目覚めてみるとむしろ日常ごくありふれた光景だった。

 

ラッテ・エ・ミエーレ『受難劇』は、昔、3回繰り返して聴いたが、どこをどう聴くべきなのか判らなかった。唯一、無調のいわゆる現代音楽寄りの1曲に作曲上の内実があった。

 

基本、私は「リフ」がダメなのだ。自作についても、1度言って判ることを2度言わないし、同じ情報量なら曲は短ければ短いほど正しい。

これを説明するのにヴェーベルンやネイキッド・シティを引き合いに出す衝動に駆られるが、それは高尚に過ぎる。実はもっと下世話な動機による。

アフォリズム的ザッピング的書法も、「KORG01/WFD だけ」にこだわるのも、私の「目の上のたんこぶ」へのライヴァル意識の為せる業だ。