以前も触れたが、ラッテ・エ・ミエーレ『受難劇』は、3回聴いて、聴くべき内容をどこにも見出せなかったのだった。
作曲と呼べる営みが無い。演奏で聴かせるものでもない。表現として何かを言い当てることにも全く成功してない。
和声の、あまりにもの陳腐。臆面無く sus4 を解決する者に災いあれ。
唯一、この曲
の前半、3'05" 目までは、造形がある、創意がある。表現もある。
こういうのを「やればできる」ことが却って、この美意識がなぜ他の全ての部分の無内容を自らに許せるのか、謎にしてる。
このアルバムには音楽が無いから、これを名盤呼ばわりする人たちは、ここに音楽以外の何かを聴き取ってることになる。
彼らには聴こえていて、私には聴こえないそれが何なのか、いちどきちんと問うておくべきだ。