凧音楽

 

すごいもの作る人いるなあ。

 

ひと目で惹かれるのは、絵として。アニメと見紛う透明な詩情。現実感の無さ。

それはこの gif の画質のせいもある。画質の「低さ」が「価値」に反転する。

 

ふた目でびっくりするのは、凧そのものの、発想と、技術。

〈ペダルの風車が風を受けて回る→足が動く〉

のだけど、逆に、まるで

〈足がペダルをこぐ→空を蹴って推進する〉

ように見える。

 

音楽を思わせる。

〈神からの霊感がヒトの料簡の範囲内に翻訳されて音楽の形が決まる〉

のだけど逆に、

〈音楽を造形することで神に届こうとする〉

曲は、神由来の出自をもつけれども、それとは別レヴェルの、ヒトの料簡に属するオブジェ、ガジェット、抜け殻、と諦めなければならない。

いたずらに直接性・同一性を欲すること、神から音楽が齎された道筋を逆にたどって、音楽で神に至ることを企むことは、「不毛」に終わるばかりか、ヒトを、神と似て非なるものにミスリードして「有害」だ。

でも、上掲 gif を見る時、「何だ本当は自力で飛んでないじゃないか」と怒り出す人はいない。

音楽における神秘主義を糾弾し音楽の不可能性を嘆くのではなく、「道筋を逆転させて自力で空を飛ぶ」音楽作品に出会った時、その発想と技術、あと詩情を、喜び、尊敬する、神秘でないと判りつつ「まるで神秘みたい!」と楽しむ、というスタンスでいられれば、幸せ。

 

関連記事: