アンドレ・ジョリヴェ(1905 - 1974):リノスの歌(1944)
André Jolivet: Chant de Linos
Pei-San Chiu(フルート)、Yuanyuan Wang(ヴァイオリン)、Tze-Ying Wu(ヴィオラ)、Cole Tutino(チェロ)、Joy Yeh(ハープ)
追記始め
今朝方、
Jasmine Choi(フルート)、Bridget Kibbey(ハープ)、Saeka Matsuyama(ヴァイオリン)、Teng Li(ヴィオラ)、Susan Babini(チェロ)
によるつべを貼りましたが、15時間後の今見ると削除されています。フルーティスト Jasmine Choi 氏の公式チャンネルが上げたものだったのですが、何があったのか…
とくに選んで貼った大好きな演奏だっただけに、残念です。
といって、ここに貼り直した、フルーティスト Pei-San Chiu 氏の公式の動画も、クオリティの高い演奏です。
追記終わり
ジョリヴェは1930年から1933年までヴァレーズに師事した。音響や打楽器へのセンスはヴァレーズからの影響だし、ジョリヴェの12音技法はヴァレーズ流だ。
1931年にパリで開催された国際植民地博覧会と、1933年の北アフリカ旅行が、彼の音楽の異教的・呪術的指向を焚き付ける。
メシアンらと「若きフランス Le Jeune France」を立ち上げるのは1936年。当時の潮流、新古典主義音楽に対抗し、「ベルリオーズの英雄精神に立ち返った真に人間的な音楽」を希求する。
第2次世界大戦中の『兵士の3つの嘆き』(1940)以降は調性と抒情性が顕著になる。
交響曲や協奏曲はいずれも戦後の作で、ここでは戦前の呪術性と戦中の抒情性とが、古典的形式の中に統合されている。
『リノスの歌』は1944年、コンセルヴァトワールの卒業試験の課題曲、フルート+ピアノの曲として書かれ、のちにピアノ・パートを弦楽三重奏とハープに編曲、1945年にピエール・ジャメ四重奏団により初演*1。
楽譜の冒頭に「リノスの歌とは古代ギリシャにおける挽歌、葬送の悲歌、叫びと踊りが交錯する哀歌である」とある。リノスはオルフェウスの弟、リラの名手。死んだ英雄を悼む歌を奏でる、半神。
5拍子の緩やかな「哀歌」と、7拍子の狂奔な「舞踏」が、繰り返し展開される構成。
第2次世界大戦ではジョリヴェ自身も兵役を体験した、と書かれた記事もあるけど、そこが確認できない。なにしろこの「挽歌、悲歌、哀歌」が大戦と無縁な筈はない。
「昔、音楽は人間の宗教心の神秘的な表現方法であった。私は自分の音楽をふたたびその方向に戻したい」(ジョリヴェ、1945)
私が最初に聴いたジョリヴェは、無伴奏フルートの『5つの呪文』(1936)。最初期の、呪術性にのめり込む曲。イシュトヴァン・マトゥズの演奏だった。発声奏法というか、差音が激しいのが凄い、と思ったんだけど、これはマトゥズが演奏上の積極的なアプローチとしてやってたことで、曲自体がそう書かれてるわけじゃない、ということがのちのち判った。
エラートに、ジョリヴェ自身の指揮で協奏曲がいくつか録音されてた。ところがリズムのキレが悪く、縦の線が揃わなくて、ジョリヴェの音楽ではリズムが重要な筈なのに、と思った記憶がある。
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