話し始めが必ず「違うんですよ」の人がいて、何と何が違うんだろう?と面白かった。
私自身「逆に」と言いがちだ。逆じゃないのに。接続詞ではなく感動詞 interjection として。
昔の理科年表では、光速の値が、今の定義値と微妙に違うだけでなく、最後に「±」として幅を持たせてある。つまりこれは実測値なのだ。
実測値から定義値に変わった、とはつまり同時に、「メートルと秒で測って光速を決める」から、逆に「光速でメートルを定義する」に変わった、ということらしい。
一般常識なんだろうけど、私はよく判ってない。
「『イギリス的』をまず厳密に定義して、これにジェネシスの音楽が合致するか考える」では話が面倒なので、逆にジェネシスの音楽を以てイギリス的と称することにする。
1970年代当時、プログレ「5大バンド」ではなく「4大バンド」だったらしい。つまりジェネシスは含まれなかった。
確かに最もイギリスローカルの音で、本国ではトップバンドでも、アメリカそして日本ではむしろマニアックな存在だったのかも知れない。
ジェネシスを中心に、私の中で「イギリス的」と括られる一群がある。
イギリス的①:
誰が何と言おうと Peter Gabriel の 1st. ソロは超名盤だ。
イギリス的②:
ジェネシスを引き摺ってるとか、プロデューサーを別に立てることでようやく作れたとか、2nd. に至ってふっ切れて新しい力強い音を提示したとか、言われるけど。
じつは今回この 'Moribund The Burgermeister' 貼りたいばっかりに記事書いてるんだけど、久々に聴いて泣けた。音楽への「誠実」とはこれのことを言うんだ。判ったか湯川れい子。
ちなみにジェネシス脱退後の復帰作は、1st. ソロではなく、'Strawberry Fields Forever' のカヴァー。映画 "All This And World War Ⅱ" のための。
Gabriel のソロではまず 3rd. と 4th.。異論はないと思う。
5th. "So" は2度聴く気が起きなかったし、6th. 以降は全く知らない。
イギリス的③:
私の「イギリス的」の出処は、元を正せば『不思議の国のアリス』なんだろう。
「'Strawberry Fields Forever' の後裔」と言ってもいい。
私が相武紗季さんを好きになったのは、インタヴューのシーンを拝見して。
考えを最も的確に表す言葉を探しながらの真摯なご回答と、無駄の無い言葉遣い。話し始めに、「そうですね」にせよ「違うんですよ」にせよ、感動詞を全く置かないのにびっくりした。言葉を発することを大切に考え、よほど意識し訓練しないと出来ないことだと思う。