前回 そらみみ そらみみ やってな(加筆しました) - 轟音に耳を澄ます でライヴのMCの台本の例をこう書いたんだけど:
2人の掛け合いの中で誰かの名前を思い出そうとして「誰でしょね」というワードを出したうえで、
バンマス(何故かベースを持ってる)
(不意に歌い出す)
誰でしょね 誰でしょね 誰でしょねってベートーヴェン
(ベースのリフを弾きつつビートに乗って)
誰でしょね 誰でしょね 誰でしょねってベートーヴェン
……ベートーヴェン?
しんかい
(食いぎみに、素っ気なく)違う
こう書くべきだった:
2人の掛け合いの中で誰かの名前を思い出そうとして「誰でしょね」というワードを出したうえで 、
バンマス(何故かベースを持ってる) しんかい
(不意に歌い出す)
誰でしょね 誰でしょね
誰でしょねってベートーヴェン
(ベースのリフを弾きつつビートに乗って)
誰でしょね 誰でしょね
誰でしょねってベートーヴェン
……ベートーヴェン? (食いぎみに、素っ気なく)違う
つまり譜面と同じ発想。
対話というのは台詞が交互に顕在するのを拾えばいいのではない。
言葉を発してようが黙ってようが、場を、時間を、経験してる/生み出してる。
上の例のしんかいの「パート譜」の空白は、空白ではない。
この6行のあいだ、バンマスとどう関わってるか。場とどうかかわってるか。
対話は成り立ってるのか。相手の話を聞いてるとして、乗っかろうとしてるのか、早く切り上げさせようとしてるのか、突き放して他人のフリしようとしてるのか。
今日の空耳。
23'47"~「シャレオツパンダ」(原詩不明)
49’30”~「ミュージック分かんね お金無い」(原詩不明)
このアルバム再発されないかなあ。