(2015年06月26日、記)
詩に題をつけるなんて俗物根性だな
ぼくはもちろん俗物だけど
今は題をつける暇なんかないよ
タイトルを付けることは恥ずかしい。
という意識は、作家全員が捉われ苛まれるものと思ってた。
タイトル付けに、便宜以上の、積極的な意味はない。
音楽作品はどこまでも自律的でなければならず、そこに言葉を並置することの、不毛や、弊害については、作家なら誰でも考えてみる筈。
タイトル付けの「恥ずかしさ」と、誰しも戦う筈で、せいぜい作品の音楽上の構造を言い当てるタイトルか、斜に構えた、あるいはウケを狙ったタイトルにならざるを得ない。
バンマスS君の曲。
もともとこの曲のタイトルは、これを献呈しようとしたあるミュージシャン(女性です。ここ重要)の名字そのまま、「〇〇」(伏せておきます)だったらしい。
改題された「Orphan(孤児)」は一見文学的だがそうではない。
「孤児の心情を音楽で描いてみました」的な「曲内容」ではなく、献呈を拒絶され行き場を失った曲の事情を意味してるらしい。
もともとS君の曲には、作曲の手がかりをくれた人の名前をタイトルにしたシリーズがある(「山下」「厚地」「関嶋」)。
ただこの「〇〇」は事情が違うかも。
シリーズの方は飽くまで直接の交流のない著名人の名前で、タイトル付けはある種のユーモアを帯びる。
「〇〇」は面と向かって本人に捧げることを企図してるので、斜に構えるどころか、のっぴきならないシリアスの結果とみるべきかも。
献呈の試みを巡って、彼と彼女の間にどういうやりとりがあったか、S君からの断片的情報以上の詳細を知らないが、このタイトルに、件のミュージシャン〇〇さんご本人が、変だ、とケチをお付けになったらしい。
タイトルというもの、タイトルを付けるという行為の、「意味」と「無意味」について突っ込んで考えた結果について、「タイトルというのは当り前に考えてそういうものじゃありません」型のケチを付けるとか、もうね。
意識的で使命感に燃える言動に対して、コンサヴァを疑う必要を思ってもみない者が、周回遅れの批判をする、というのはじつに巷にありふれた光景だけれど。
まあシンプルに、自分の名前を使われるのが迷惑で阻止しようとした、という公算が大きいが。
そしてタイトル付けについてのいまさらな持論を披露した挙句、私ならこの曲にこのようなタイトルを付けます、と提示、曰く「アリスの散文的叙情」(だったかな?)。
それまで受け取りを拒絶され、あまっさえ殆どストーカー扱いまで行ってたところへ、聴いて貰えて感想のメールまで貰えたことの起死回生の狂喜と、とんちんかんな感想との間で、彼にどんな苦悩があったか知らない。
まず、こういう文学的なタイトルこそが、彼の最も忌避するところなこと。
そして「散文的」と言われて喜ぶ者はいないこと。この語が何を意味するか、その程度の用語法の前提も共有できないという…
曲そのものについても、「形式感が無い」ことを欠点として感想を述べたとか…
S君はここで、形式の革新をことさら目論んだ訳ではないようだ。
彼のこだわりはただ一点、「密度」。
音楽は「瞬間」に属する、という感覚。
本当の美意識の持ち主は、「散文的」な時間の経過に耐えられない、ということ。
形式が罪なのではないが、それは形式が「瞬間の充実」を損わない限りにおいてである。
インスピレーションに拠った楽想(それは大概の場合瞬間の形を取る)だけを、形式を整えることのために薄めることなく、ガギンゴキンと繋ぎあわせてゆく「誠実」。
それはS君のもともとの流儀だが、〇〇さんへの「誠実」でもあった筈だ。
「この曲はもともと〇〇さんから授かったもので、僕が書いて〇〇さんに捧げるというより、お返しするという感覚」とかなんとか。
(それってリルケ「ドゥイノの悲歌」の献辞のパクリなんじゃ?)
私の聴くところこの曲はS君の個性そのものなんだが、具体的には0'48"~と1'15"~に出て来る、上行跳躍、下行順次、下行跳躍の、4音からなる音形が、〇〇さんの曲からの引用であるようだ。
形式感が欠如してるといっても、この曲には、1つだけ、テーマと呼べるかも知れないものがあって、3回出て来て(0'53"、1'18"、2'08")、そのたびに形が変わっている。ものすごく緩~いロンド形式、というか。
音楽のあるべき姿を根本から考え直すことが使命だと自覚できなくて、何のために音楽家をやってるのか。
私の認識だと、曲りなりにも音楽にかかずらう者なら誰でもが問題意識として共有してることが、案外そうでもなかったりするのかな?
彼女は音大を出てるし、そういう事を考える機会が多く、問題を共有する仲間が多い、筈だよね?
音大ってむしろ既存の約束事を継承するための機関なのかな?
同じM音楽大学出の、クリエイティヴな音楽家はもちろんいるし、個人差?
「お嬢様のお稽古事」なんだよなあ根本的に。
その自覚があって、そこから逃れたくて、フランス留学したのかと思ったけど、案外お稽古事の総仕上げをしに行ったのかもね。
以上はもう数年前の話。
今回瑣末なエピソードから書き始めたけど、この問題はいつか、ひととおり書いて、片付けねば、と、ずっと思ってる。
それを阻むのは①あまりに多岐に亘る②恥部に係わる、の2点。
バンド活動がなぜストップしてるのか?クリエイティヴィティとは何か?ファン心理とは何か?愛とは?誠実とは?傷付くとは?等々等々。
私自身の恥部はいいけど、もう1人の人物の高貴な奴隷根性を言い広める権限は私に無いし。
関連記事: