「いのち」という名のゲーム

(2015年09月27日、記)

 

 

3段オチです(予告)。

 

 

ピグライフのスタブロのコメ欄で「動物のえさやりがめんどくさい。一斉にやれる仕様に変えてほしい」というコメを目にした時、返信差し上げてしまった。

およそ次のような。

 

《とても悲しくなるご意見です。

私は、動物1頭1頭とじかに触れ合う機会なので、えさやりは楽しいです。

この「1頭1頭」というのがキモです。一括して「動物」「ヤギ」「アヒル」ではない、それぞれに名前を付けて大事にする、というところです。

「いのち」を相手にするのは、動物を育てるのも植物を育てるのも、手間が掛かるのが当然で、私などはむしろプロセスそのものをもっと楽しむ仕様だといいのに、と思うことが多いです。

もちろんスタンスは人それぞれだし、やりかたの選択肢が増えることは基本歓迎なのですが、「ライフ」を楽しむための根幹をなすセンスにかかわることだと思ったので、返信差し上げました。》

 

最初、これを完全なケンカ腰で「テメエみたいな料簡のユーザーがいるからライフが『いのち』へのセンスから乖離してくんだよ!」「テメエのところに来てしまった動物たちが可哀相だよ!」と書いたら、速攻削除されて、書き直したりしたわけだが。

 

 

でも思い直すに、じっさい動物クエ自体が、ブリードを繰り返すだけのものになって、生産の楽しみがなくなり、動物を大切に育てる動機を持ち辛くなってる。

私の返信は「プロセスを楽しむ仕様でなくなった」「『いのち』から乖離してる」と、語るに落ちてる。

 

 

でもでもさらに思い直すに、そもそもこのゲームは個々のユーザーそれぞれの妄想を描く場であって、動物たちをどう意味づけ、絵姿からどんな妄想を膨らませるかは、仕様に関係なく、個々にやればいいのだ。

妄想のしかたにまで「この仕様に従ってこのように妄想しなさい」と立ち入られるのは不幸だ。