(2015年4月15日、記)
「刺し箸」がなぜマナー違反なのか。
「刺す」は箸の重要で便利な機能の1つだ。
これを敢えて封じるのは、何某かごくローカルな美学のためにはあり得るが、これをマナーとして一般に強いるのは暴力である。
(いっぽうで調理法で野菜の「乱切り」は許されている。デザイン上の要請から積極的な意図でこれを採用することもあろうが、食べる側の便宜をイメージしない、作る側の手抜きとしてこれを行うこともありそうだ。平行な面が1対も無く、箸でつかむことが不可能なこの調理法を是とするなら、刺し箸も是とせよ。)
ロックとは。
わたし的ロックの定義はシンプルで、「ロック=正直・真実」だ。
正直・真実であるということは、権威に抗う、ということだ。
刺し箸がなぜ悪いか合理的に説明できる者はいない。
とにかく何でもいいから決め事を作って、これを指導するマナーの先生のお金儲けの手段を捻り出す。
誰しもやっちゃいそうなこと、ゆえにマナーとして禁じることが可能のこととして、刺し箸が採用される。
そしてこれが根強く受け継がれてきたのは、これと、とにかく何でもいいから作られた決め事を守れることを自らのステイタスとしたい者たちとの利害が一致するからだ。
根拠のある「真実」と、特定の「権威」のために捻出された「真実」とを鋭く見分け、後者の化けの皮を剥すこと。
これがロックの機能だ。
ロックは刺し箸である。
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