ELP が好き

あるきっかけから 'Karn Evil 9 2nd Impression' を聴き直して、いまさら、3'15"~ 5'00" の箇所の美しさにびっくりした。

和声の、ムソルグスキードビュッシーを聴くのと同じ耳で聴けるような在り方。和音の中の各声部への構成音の配分というか、ある声部を4度跳躍で下行させるのに重ねて別の声部を2度順次進行で上行させるとか、そういうのが端的に私のツボなのだ。

それと、打楽器パートのアレンジ*1

トナリティとソノリティの神妙。今までそんなに漫然と聴いてたつもりはないんだけど、迂闊だった。

 

今回これに気付けたのは、"Ladies and Gentlemen" のライヴ・ヴァージョンで聴いたから。録音状態そのものの差異ではなく、私自身の聴く態度のほうに差異があった、ふだん "Brain Salad Surgery" で聴くのとは、聴覚と意識の働く向きと感度に違いがあった、のだと思う。

20'59"~ 22'49"。

ただまあたしかにこっちのが空気感を纏ってはいる。スタジオ録音のほうのピアノ・パートは、クリアではあっても、線が細くて、音色・音質そのものには訴求力が無い。1970年代のクラシックの、ザッハリヒをウリにする類のピアニストの録音に共通するような。

 

当ブログは ELP に過去3回しか触れてない。

ELP というと、極論すれば、①ここはクラシック、ここはジャズ、とくっきり還元できる、要素の取り入れ方の「身も蓋も無さ」②ショウアップ③エマソンのヴィルトゥオジテ、の「解りやすさ」が特徴で、内発的で切実な表現を求める耳にとっては不毛、と断じてた。

でも極論は極論だ。上に挙げた箇所には象徴力の深さがあるし、'Karn Evil 9 1st Impression' の冒頭3分41秒間の、コード進行というより、それ自体訴求力高く造形されたフレーズたちが多声的に絡まって凝集力を保って進行する、モードの皮肉を帯びつつの厳粛な佇まいには、「効果」を狙うのではない真摯がある。各声部自由に動く中でヴォーカル・パートがワン・ノートなのも効果的だ。いやだから効果のための音楽ではないのだけど。

就中、1'16"~ 1'19" の2小節、オルガンとベースによる「線的対位法」の箇所。私がこの曲を決定的に腑に落としたのは、この1か所によってだった。

 

"Ladies and Gentlemen" って "Yessongs" 以上に聴いてない。実家に無かったし。さすがにまずいと思って、とりあえずつべで 'Karn Evil 9' から聴いたのだった。

*1:それプラス、"Brain Salad Surgery" のスタジオ・ヴァージョンでは、ピアノの内部奏法による効果音的アレンジが美しいわけだけど、なんしろ今回聴き直すきっかけが "Ladies and Gentlemen" ヴァージョンだったので。