"miniatures"

miniatures

a sequence of fifty-one tiny masterpieces

edited by morgan-fisher

 

最近フル・アルバムのつべが上がった:

1980年。Morgan-Fisher (Morgan Fisher) が、いろんなアーティストから募った1分間(以内)の曲を51曲連ねたアルバム。

こちらの Discogs のページをトラック・リスティングとしてご覧になりながらお聴きになるのがよいと思います:

https://www.discogs.com/release/347586-Various-Miniatures-A-Sequence-Of-Fifty-One-Tiny-Masterpieces-Edited-By-Morgan-Fisher

カヴァー曲が多く、かつネタ元が何なのか判りづらいケースもあるので。The Residents とか。

 

つべの最後に隠しトラックみたいに入ってるの、オリジナル音源にあるものだろうか?

 

スリーヴノートに、

「1979年: Morgan-Fisher は "The Goofing Off Suite" を聴いて、ある着想を得た…」

とある。

これは Pete Seeger の1955年のアルバムで、オリジナル曲、トラディショナル曲、クラシック曲(バッハ、ベートーヴェンストラヴィンスキー*1グリーグ)などを、バンジョーまたはガット・ギター、適宜ヴォーカル、まれにマンドリン、ハリル*2カントリー・ミュージックにアレンジして、17曲連ねてる。殆どが1分台か2分台(0分台が1曲、3分台が1曲)。

1曲の中に複数のネタ元を含む場合もある。

"miniatures" でカヴァー曲が多いのは、着想の発端がこれだったから、なのだろうか? ちなみに Pete Seeger 本人が、"miniatures" の最後、51曲目に参加してる。

アルバムを貼っておきます:

 

聞いた話で正確なところが判らないのだけど、1980年当時、"miniatures" 情報が最初に齎された時、アーティスト名が頭文字でしか明かされていなかった、とか、阿木譲がその「匿名性」にことさらに積極的な意味を読み取ってた、とか。

これはどうやら、曲数が多いうえに、曲数と同数のアーティストが参加してて、レコード盤のレーベルに書き込むには文字数が膨大なので、便宜としてアーティストの頭文字だけを書いた、というのに過ぎないようで、オリジナルのアナログ盤でも、インナー(Discogs の画像で確認)にはふつうにアーティスト名がフルで書かれてる。

ただ、アルバム・タイトル、曲名、アーティスト名が全部小文字で書かれてるのには、固有名詞を一般名詞として扱う、個性を消すニュアンスを感じはする。

 

ある時期の阿木譲が「これからは匿名性の時代」みたいのを提唱した、その真意を私は知らないけど、あるいは1970年代プログレの時代にはいた Fripp とか Gabriel とかの「神様みたいな」存在を当代が擁しない、という状況認識があって、そこを時代性として積極的に評価する試み、だったのかも知れない。

「シーン」としては確実な動きがある。そもそも我々はロック・スターに自らの生を仮託しようとしてたのではない筈だ。みたいな。

 

「個」を軽んずるとはなにごとか、といったんは思う。でも、積極的な意味での「個を離れる」が、2つある。

① 偉大な個たるロック・スターを待望すること、英雄待望論は、却ってこっちの個が希薄になることだし、自分で何とかすることをサボることだし、だから Gabriel は 'D. I. Y.' と歌ったんだろう。

② そもそも音楽は個を越えてる。「自己表現」ではないのだ。音楽は個を通して来るが、個から来るのではない。

 

ポスト・パンクについて書いた時、この盤の存在を思い出さなかったのは、不覚。

*1:'Russian Folk Themes' のクレディットで作曲が Stravinsky となってるけど、もともとはロシア民謡で、これを『ペトル―シカ』に引用したわけだから、これも「トラディショナル曲」ではある。

*2:Chalil、古代中近東の笛で、聖書にも出て来るけど、現代においてこの名が何を指すのか、私には判らない。