ものと光と反省会

「もの」って何だろう?
そこに「もの」があるのだ、ということにしておけばいろいろ面倒を省けるし、それで矛盾も生じない。
でもそれは概念がそう決めてるだけだ。実際にそこにあるのは「もの」ではなくて、空間を移動していた私の趾がそこに差し掛かると進行を妨げられたという「こと」、猛烈に痛かったという「こと」だ。
光にとっては、その境目で「何かの有りよう」が変わって、進み方を変えさせられる。「吸収される=そこから先に進めない」か「先に進めるけど屈折する」か「反射される」か「乱反射されて色になる」か。そのいずれかが起きた時、そこに「もの」があるということにして片すのだ概念は。


以下、アウトテイク集、すなわち極私的反省会です。

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寄り過ぎちゃったなあと反省して翌日撮り直したりもしたのだけど、こっちが正解だったかも。

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こっちのアングルと構図が正解だったかも。

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これ自体はつまらない絵だけど、考えるヒントになる。
「複数の次元が重なるところに絵が生まれる」という命題を立ててみる。
壁に入った罅は「実態」で、そこから動かない。濃いシャープな線。
そこを通りかかる「影」は淡く、輪郭がぼんやりしてる。
「舞台と役者」なのかも。舞台と役者という立場は固定してるものではなくて、舞台が役者になったり役者が舞台になったりする。

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「水底」と「そこに映る影」と「水面での反射」の3者が重なる。3者とも水面の乱れ/凪ぎ加減によって像の輪郭が変わる。
でも2点とも構図が甘い。

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「偶然出来た、というかどうやってこれが出来たのか判らない、宇宙みたいな模様」と「用途をもちこの世に属してる物」とが隣り合う。
私がわりと一貫してやってるのは「物を用途から解放して純粋な質感に還元する」ことなのかも。「物としてではなく造形の要素=色と形として見る」ともいえるんだけど、どうしても「質感」には敏感に反応してしまう。「質感」というのは解像度の粗い言葉だけど、キーワードになり得る。
このカットでは、「用途物」が用途物にとどまってるか、危うい。「宇宙みたい」の次元に引っ張り込まれてるかも。

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右に詰めた構図だと、「ショベル=見る者の興味がまず向かう、動く部分」をフィーチャーした絵になる。
左に詰めた構図だと、「操縦席がまずあってそこでショベルの動きを決める機械」の絵になる。