三善晃「オンディーヌ」

三善晃:音楽詩劇「オンディーヌ」(1959年)

最近、アナログ盤が音源の、全曲のつべが上がった:

原作:フゥケ 詩:岸田衿子 作曲:三善晃

本荘玲子(オンド・マルトゥノ)、友竹正則バリトン)、鈴木清三(オーボエ

森正/ラジオ管弦楽団、ラジオコーラス

山本安英(語り)、幸田弘子(オンディーヌ)、久富惟晴(ポウル)、岸田今日子(ベルタルダ)、水島弘(水界の王)、小山源喜(城主)、山田清(漁師)、綱島初子(漁師の妻)、須永宏(侍従)、田崎千鶴子(声)

 

つべには以前から、CD が音源の、より音の良い動画が、全曲を3つに分けてアップされてた。

そちらには、たしかにオンディーヌないしウンディーネ関係の絵が当てられてた。でも、私はこの曲を「原作がフーケの作品」としてではなく「1959年に作曲されラジオ用に制作された作品」として聴くので、「フーケのウンディーネ」がらみの絵を当てられると違和感がある。

オケと、合唱と、オンド・マルトゥノと、NHK電子音楽スタジオで作られたテープ。テープ音楽の素材に使われた具体音は、もしかしたら、水の音だけなのかも??

これが1959年(LP リリースは1960年)当時の耳にどのくらい斬新に響いたかは、想像するしかない。

生オケ生合唱と電子音との関係は、私の耳には、拮抗ではなく、ごく自然な綯交ぜに聴こえるけど、当時もそう聴こえたかどうかは判らない。

拮抗しつつ綯交ぜになるスリリングさはむしろ、この音楽が思い描かせる「物語世界」と、即物的な制作現場の「スタジオ感」との間に生じてる、そこが美しい、と私は感じる*1

*1:追記 2020年11月17日

Genesis "The Lamb Lies Down On Broadway" について同じことを言ってた:

「『スタジオ感』、大きな世界を遍歴するんだけど、それがじつは全てスタジオの中で完結してる、という質感」

ことさら繋げて考えてなかったつもりだけど、同じ「スタジオ感」という言葉を使ってるくらいだから、やはり繋げてたのかな?