サギ

サギに出くわした。私が撮ったのはただ、立ち、歩き、飛んだところだけ。
スマホカメラのピンチ・インは、倍数を上げるほど画質が粗くなる。ここでは最大の ×8.0 で撮ってます。

2022年02月27日、岡山市北区某所で。これはコサギチュウサギ
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2022年02月28日、同じポイントで。同じ個体だろうか?
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間合いを詰めようとしたら警戒されたのか、飛び立った。
鳴き声の方向を頼りにシャッターを切ったにしては、フレーム内に収まってくれた。
飛ぶところを撮るためにわざとけしかけたのではありません。
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BBC の、野生動物の生態を追うドキュメンタリー・シリーズで、アッテンバラが森に棲んでるゴリラを訪ねてって、距離を徐々に詰めてって、最終的に、森の茂みの中で並んで座って和んでるアッテンバラとゴリラのツーショット、というのがあった。初対面のゴリラと信頼関係築ける人すごい。
観察者が「場」に介在せず影響せず、自然を客観的に・ありのまま撮るのが正しい、という立場もあるだろうけど、ああいうの見せられると、積極的に関わることを取材というのだ、と思ってしまう。

「生き物を撮る」は「何を撮るか」を問題にしてるようでいて、それがすなわち「どう撮るか」。被写体が生き物であるが故の「方法」がある。
動きが速いし読めない。近づけない。そもそも出会えない。

本来なら、相手の生態を知ったうえで臨む分野だ。そのうえでなお、シャッターチャンスを「待ち構えて」撮るということが、どのくらい可能なのか。
生き物相手は相互行為だし、場に即した判断を迫られることのほうが多いのではないか。

街の造形を呑気に探して歩いてる私にとって、生き物は「不意に現れる」。
もっぱら「造形」に関心があるといった。「何を」撮ってるかは問題ではないと。でも生き物こそは造形のお手本だ。
生き物を撮ることは「何を」撮るかであると同時にそのまま「造形」だし、「方法」に向き合うことだ。