アメブロの みらあじゅ さんから教わった、2つの「蘇州夜曲」。
(但し、李香蘭のほうは、みらあじゅさんがお貼りになったものは削除されてしまったようなので、同録音の別動画です。)
李香蘭のヴァージョンは、オケの和声が、半音階的進行を多く含んで、陶酔的に美しいですね!
上野耕路のオーケストレイションもこれに準拠してますね。
というのは、私が知ってたのは、渡辺はま子、霧島昇のヴァージョンなのです。
こちらのオケは、ヴォイシングがずっと素直で単純かもですが、各コーラス歌い終わりと間奏終わりがドミナントの増三和音なのが、わたし的に重要な音楽の瞬間です。チェレスタとピアノを重ねたみたいな音色のアルペジオで「ポロロン」と示される。夢の世界に持ってゆかれるきっかけの合図です。
映画『支那の夜』(1940年6月公開)の劇中歌として主演の李香蘭(山口淑子)が歌う。
同年8月発売のレコードでは、渡辺はま子、霧島昇が歌う。服部専属のコロムビアからのリリースなので、コロムビア所属の渡辺、霧島が歌った、ということのようです。
1953年、山口淑子歌唱のレコードが、自身主演の映画『抱擁』の主題歌として発売されます。
↑に貼った李香蘭(山口淑子)は1953年のものの筈です。1940年『支那の夜』中の、「蘇州夜曲」が歌われるシーンもつべに上がっていますが、「半音階的進行を多く含む」オケにはなっていません。
実家には、服部良一作曲の63曲を収めた3枚組 CD があり、これに渡辺はま子、霧島昇の「蘇州夜曲」が入っていました。
歌謡曲では他に、笠置シヅ子の2枚組 LP がありました。「オリジナル盤による懐かしの針音」というシリーズの1点でした。LP 時代に、SP を知る世代が「針音」=スクラッチ・ノイズを「懐かしい」ものとして積極評価する感覚があったことになります。音楽「作品」の正しい再生、正しい理解を目指す立場からは容認しがたい逸脱ですが、メディア自体のもつ質感が価値を帯びる、という事態はどこにでもふつうに起きます。
聴き手パーソナルの思い出と結び付く「懐かしさ」 を持ち出さなくとも、ノイズを「聴く」対象にしそこに「美」を見出すことは有り得る。これも、作品理解とは別の「音楽的」で「積極的」な営みです。
最近の若い方が、LP の「パチパチ音」を「温かい」と感じる、と仰ってるのを目にしました。それがどういう感覚を言ったものか、また一般にどのくらい共有されてる感じ方か、判りませんが、時代への郷愁という意味での「懐かしさ」では有り得ません。
上野耕路の頭の中ではオーケストラで音楽が発想されてるだろうから、ゲルニカの 1st.アルバム『改造への躍動』でのシンセは「代替」だし、表現の制約がありますが、それにはそれの質感があって、魅力があります。そこは上野自身も楽しんだ筈です。
2nd. アルバム『新世紀への運河』以降生オケを使ってようやく、意図が正しく実現できた、のは確かですが。