積極的

「動画撮影にはスタビライザ(ジンバル?)が必要」と書いた。
でもじつは私は、「被写体を『うつす』」「記録する」にあまり興味が無い。
だから、ぎゃくに積極的に、例えば「スマホを片腕に括りつけて、スタビライザ無しで、ヴィデオをピンチ・イン ×8.0 で rec しながらラジオ体操をする」というのをやりたくなる。「うつした」のではない「うつった」映像を得られる。

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スマホで撮った動画を直接貼り付ける方法が判らないので、いったんツイートしてリンクします。)
「被写体」という発想は「それが『何』であるか」をまず問うが、ラジオ体操で「うつる」のは、「光」「色」それらの「動き・推移」である。そこで問われるのは「何」無き「どんな」だ。

にしても、ヒトの肉眼による「見える」をスタビライズしてるものは、眼球の機構的制御なのか、それとも概念による補正なのか。
もしカメラが、ヒトの眼球の角運動や空間内移動を正確にトレイス出来たら、ヒトの「見える」をスタビライザ無しに再現出来るのだろうか?


ふと「弁解の余地」という言い方に違和感を覚える。弁解は、「必要な時には積極的にやり、すべきでない時にはすべきでない」ものではないのか。「余地」があるかどうかを問題にするものではなく。


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タンバリンがテンポをリードしてる。スネアに対して露骨に走ってる。ドラムに合わせるのではなく、ドラムの鈍重なテンポに積極的に拍車を掛けてる。


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このサン・ラーの、オルガンクルクル演奏とか、最後に完全に後ろ向きになるとかは「人為のコントロールを外す」というような積極的な意味があるのかな?(ショウ的にも凄いけど)


オブラートにという副詞またはオブラートだという形容動詞を私は今後積極的に使うが、形容動詞は認めない。(ハッシュタグ「#オブラートにブスと伝えよう」を見掛けて詠める)


「積極的に絶望する」という言い方は有り得なそうです。(「『あきらめる』のと『絶望』とは微妙に違うんだ。」について)
愛するとか生きるとかは、意志、能動、積極ではなく、否応無いパッシヴ(受動)、パッション(受苦)。刺激への反応。