アメーバの元アカで書いたブログ記事のことをふと思い出した。
バンマスがラヴェルの弦楽四重奏曲の SP 復刻 CD について言ってたことを承けてのもの。
オリジナル SP の発売日が楽章によって違うことに気付いた、と。データは録音〈年〉までしか判らないけど、第4楽章だけ翌年だった、みたいな。
SP の収録時間の制約で、一度にリリース出来るのが1楽章分、とかの事情だろう。
バンマスが、当時のリスナーの、心境というか、聴く態度に思いを馳せてた。さぞ積極的な態度だったろう、と。
1曲の続きを聴くのに、何か月だか、さぞ待ち侘びて、さぞ集中力をもって鑑賞に臨んだろう。
バンマスはこれを羨んでたわけだけど、私が思ったのは、それまさに私がバンマスを羨んでるポイントだよ、と。
1970年代をリアルタイムに生きて、『狂気』のあと2年だか待たされて聴く『あなたがここにいてほしい』。期待に胸膨らませて、どんなにか集中力をもって、濃密な時間を体験したか(あるいはどんなにかがっかりしたか)。
当時の時間感覚を、私は想像するしか出来ない。私にとってプログレは「歴史」で、ピンク・フロイドにしても、数年単位の活動をボックスで数時間のうちに纏めて「学ぶ」ものなのだ。
というような記事。
ラヴェルの室内楽曲では、ピアノ三重奏曲第3楽章パッサカイユの、このつべでいって 4'17" ~ 5'33" の箇所、就中 4'55" からの弦2本による鎮静?諦念?放心?が、ラヴェル聴き始めの頃、大切な音楽の瞬間だったのを、今ふと思い出した。