音楽は長調で書くもんだ
— 新海智子 (@coccyx_T) November 23, 2021
とツイートしつつ、なーんも考えてなかった。
信念の表明ではない。命題として立ててみた、というに近い。
省みるに私は長調の曲が圧倒的に多いなあ、くらいの感想からだったんだけど、そもそも「長調で書く」という言い方が正しくない。書く時には調を意識してない。無調で書くからそうだというだけでなく、協和させつつも「調性で行くぞ!」とは思ってない。
音の自然に沿うと長調になる。短調で書くことは人為を働かせること。
長調と短調は、反対語ではないというか対等ではないというか、Major あっての minor。
和声は長調で成り立つ。これを短調に平行に移し入れることは出来ない。短調の和声は、偽装。
「長調は明るい、短調は暗い」との通念に随って明るく書こうとしてるのでもない。
私はブルーズをまったく理解してないし、私の曲にその要素は皆無だ。
ブルーノートは長調/短調を曖昧にするのかもだけど、私はこれを論ずることが出来ない。
聴くについては、例えば次のようなことがある。
私の最初のロックは The Beatles 'Back In The U.S.S.R.' だった。'Hey Jude' の、ダイアトニックで美しく造形されたメロに感動したのに続いて、その対極のこの曲の歌メロのぶっきらぼうさにぶん殴られて、「これぞロック!」ってなったのだった。私の「ロックとの出会い」は同時に「ブルーノートとの出会い」だった。
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