メモ(半獣神の午後)

シンクロニシティは続く。

半獣神の午後のギタリストのお名前は何だっけ?ってなってた。そこへ今朝方ツイッターで、

1986年11月30日、画家のオノサト・トシノブが死去。 本名・小野里利信、長野県飯田市生まれ。 1912.06.08 ~ 1986.11.30

というツイートをお見掛けした。

そうだ! 小野里氏*1だ! オノリー!!

 

「小野里」ってものすごくポピュラーな苗字じゃないと思う。

それともこれはバーダー・マインホフ現象的な何かのバイアスだろうか?(あるいはシンクロニシティを話題にする時この語を持ち出すのは禁忌だろうか?)

 

この4月に、手許の CD と LP をすべて処分した。

半獣神の午後の CD をどうするか、迷った。

手許に置き続けることは、死蔵し、いずれ不燃ごみになるに任せることだ。大事なもの、希少なものこそ、その事態を避けるために市場に出すべきだ、と判断した。

引取をお願いした中古レコード屋さんは、私のコレクションを「現代音楽とプログレの宝庫」と評して下さった。高値で買い取って下さったこともだけど、価値を理解下さる方にお任せ出来たのが本当にありがたかった。

 

もちろん近々死ぬ予定はまったく無いけど、そういうわけで半獣神の午後のメンバーのお名前が一部あやふやになってる。

 

半獣神の午後にギタリストがいたのは、私の把握してる限り、『循環の美学』期、この小野里氏だけ。

ごく初期、1990年代前半には、もしかしたらゲスト扱いで、ギタリストのいるライヴがあったかも知れない。

あきらこ氏は、とくに初期、メンバー集めに苦労なさったようだ。氏の音楽性は特殊なので、愛され羨望の対象になることはあっても、これを理解し実践するとなると、人材は限られる。

対バンで知り合ったプレイヤーに、音楽性の相性とかパートが何であるかとかを二の次に頼み込んで、ようやく1回だけライヴに参加してもらう、とか。そういう中にギタリストがいた可能性はある。

人材難は、マッチングの問題がいちばん大きかったんだろうとは思う。半獣神の午後がシルバーエレファントを活動の場にするのは、おそらく1996年以降。

というかそもそも、あきらこ氏はご自分の音楽をプログレとは規定なさってなかったはずだし、メンバーをプログレ界隈に求めるという発想も、初期には無かったはず。

 

なぜ、どういうきっかけで、半獣神の午後はシルバーエレファントに出るようになったのか?

ここで、私が気になってて、でも全然情報を取れないのが、「東京ディスカウントショップ」という名前のバンド。『幻燈秘寶館』『初恋』のベーシスト、醍醐森朗氏が、半獣神の午後加入前に在籍したバンドで、シルバーエレファントにも出演しており、この縁で半獣神の午後はシルバーエレファントに出始めた、とされる[要出典]

*1:下のお名前は思い出せない…ご無礼すみません。