私は今までこのように認識してた:
「小学校5年生に上がる時転校があった。進度に差があり、算数で落ちこぼれた」
算数は一段階抜かすと、その後を積み上げられない。
思い直すに、転校前と転校後とで、私の理解度に差があったのではなく、私の理解度についての私の理解度に差があったのではないか?
つまり
「進度に差があった」
のではなく、
「転校前も理解できてなかったんだけど、自分が理解できてないことに気付いてなかった」
のではないか?
自分が算数で落ちこぼれてることを自覚したのは、算数の時間にではなく、家庭科の時間にだった。
5年生最初の授業が「裁縫箱を入れる袋を作る」だった。
教科担任の先生が、裁断の寸法について
「よこまわり/2(にぶんのよこまわり)」
とおっしゃった時。
なにいってるかわからなかった。
にしてもここは先生、「分数と割り算は同じ」ということを理解できてない児童もいることを、当然想定すべきだったんじゃないか?
なぜふつうに
「よこまわりのはんぶん」
とおっしゃって下さらなかったんだろう?
たぶんこの時私は、隣の子の寸法をそのまま写すか何かして、切り抜けたんだと思う。
分数未習得はそのままに。
今日の空耳。
0'52"「ありもり メンヘラ女」
0'57"「めっちゃスケベ」
1'04"「安倍政権の冬」