「プログレ裁判」

アメーバピグの音楽フロアでの大切な友人だった(連絡取ってないけど今もそう)、シロちゃん。

私の(退会済みアカでの)アメブロ記事にコメくれて、やりとりがあった。そのうち、2016年07月25~26日、フロアでの「プログレ裁判」についてのやりとりの中から、私の返信の部分を抜粋、一部改変。

以下。

 

J さんのプログレ部屋には以前時々お邪魔してました。

そのうちの「プログレ裁判」に参加したことは無いのですが、規約に「判定そのものを楽しみながら判定を行う」の一文があって、さすが J さんの視点は自己批評を含むのだな、と思ったのでした。

曲を判定しながら、そうすることによって逆に判定する側の価値観も判定される、という意味と受け取りました。

それこそプログレッシヴな姿勢だ、と。

 

基本私も、「プログレとはこういうもの」という固定をまずやって、それに当てはまるかどうかを判定する、というのは、意味がないというか、順序が違うと思ってます。

まして「好き嫌い」を決めるのに、「プログレに当てはまるゆえに好き」は有り得ないです。

まずニュートラルな耳で、カテゴリーの先入観を除いて曲そのものを聴く、のでないと、好きになれる筈のものを好きになる機会を逸する、あれ?日本語が変だ。

自己批評精神とは、つまり遊びの精神でもあります。

 

以上。

裁判が成立する前提として、ひとつには、プログレという1つの語が指し示す全く別の2つ「既存のスタイルとしてのプログレ」と「姿勢としてのプログレ」の齟齬、がある。後者を以て前者を糾弾する、という。

でもそれは当ブログが常日頃やってる。今は、もっと気楽に「プログレ・バンドと見做されてないバンドによる、プログレ・ナンバーと呼べそうなナンバー」、その意味でプログレ判定の対象になりそうなナンバー、を貼りたくなった。

ほんとすみません。私の中で The Moody Blues はプログレ・バンドということになってないんです。

 

シロちゃんどうしてるかなあ。