レヴュー記事で「いかにもプログレらしい」というフレーズに出会うと、読み進められなくなる。
プログレらしさの何たるかを論じるのでないなら私には縁が無い、と。
私の敬愛する、あるライターさん。いつもドキュマンとして正確で行き届き、洞察としてもつねにある深さと鋭さの水準をキープなさるその方の、新記事の題材が "Foxtrot" だった。
このアルバムについてはいろいろ書くことがある筈。あるいはあまりにもの代表作なために書きにくいということもあるだろうか?
就中私が怪訝に思ったのは、「プログレ」の語をアプリオリのものとして多用なさることだった。
「(ジョン・アンソニーよりもデイヴ・)ヒッチコックの方がよりプログレ的な志向が強い」
「メロトロンで始まります。見事なプログレ宣言といえるでしょう」
「トニー・バンクスのオルガンやメロトロンもこれまで以上にプログレしています」
「(「サパーズ・レディ」について)まさにザ・プログレといえる大曲です」
この方のレヴェルからするといかにもやっつけだ。
1日1記事、定時に投稿なさるという点だけでもモンスターだし、その中の1記事がこうなってもしょうがないのかもだし、その回がたまたま "Foxtrot" だった、のだろうか?