ヴァースに入ってからのアコギのアルペジオとか、エレピ?にコーラスを掛けた音色作りとか。
「叙情性」とか。
BJH "Time Honoured Ghosts" を聴き直すと、記憶にあるほどプログレじゃなかった。
Genesis "Trespass" を数年振りで聴くと、かつてはいちいち引っ掛かってきた音の出来事が、スムーズに流れて行ってしまう。当初、アコギのアルペジオとか、ハモンドの音色がアルペジオ的に動くとか、だけでも新鮮で、そしてそれらにプログレで初めて出会ったばっかりに、それらをもプログレの特質としてカウントしてた。
シャインマスカットのコージープリンセスが好きなしんかいに、これに黒みつほうじ茶タルトを混ぜて与えていると、黒みつほうじ茶タルトだけを与えても食べるようになる、的なことが、プログレ鑑賞においても起きるのではないか。
プログレで、バラードの名曲とされてるものが、歌謡曲にしか聴こえない、ということがある。
あるいは曲を単体で論じても無意味なのかも知れない。'I Talk To The Wind' は、これ自体としてプログレかどうか疑わしくても、これが「21馬鹿」と隣り合わせに配されてることがプログレ、とは言える。
ということは、『宮殿』の2曲目がもし「俺たちの旅」だったら、これがプログレの名曲として語り継がれていた、ということになる。
その曲が美しい、ということを、プログレの手柄にする、「プログレだから」を理由にすると、いろいろ見えなくなる。
どちらも同様に「プログレとポップを併せ持つ」のに、Kestrel は「音はポップだけど姿勢がプログレ」と思えて積極的に評価でき、Asia に対しては「裏切り者」と思うのは何故なのか?
アーティストの姿勢のベクトルが逆なのか、聴き手の思い入れの為すところなのか。
「ジャズロック」と「フュージョン」を仕分けし、前者を受容し後者を排除することによって、見えてくることと、見えなくなるもの。
Lumsk はわたし的にメタルじゃなくてプログレだ。
追記 2020年08月22日
話を端折りすぎました。
「『プログレとメタルを併せ持つ』ことで一括りに出来ない」と思ったのだった。
分け方として、
「メタルの人がプログレを採り入れるのか vs. プログレの人がメタルを採り入れるのか」
ではなく、
「その採り入れ方が単なる要素・テイストとしてなのか vs. もっと姿勢に関わることなのか」
で考えるべきだ、と。
「要素として採り入れる」ためには「メタル」「プログレ」を既成のジャンルと見做していなければならず、これは姿勢としてプログレじゃない。
「メタルをテイストとして取り入れたプログレ」と「音的に必ずしもプログレ的ではないけど姿勢にプログレを感じるメタル」とでは、どちらがよりプログレなのか?とか。
Lumsk を私がプログレ認定したのは、つまりそういうことです。