メモ

3つのメモは相互に無関係です。

 

「#プログレ聴いてもプログレ作れませんよ」といいつつ挙げるのがバルトークのオケコンじゃあ、同じ枠内に留まってるんじゃないですかね?

さらにいえば、この言い方だと「プログレを作ること」が目的になってますが、アウトプットを予め決めてしまうのって、プログレなんですかね?

いや、全く筋違いな難癖なのですが。

いっそプログレという言葉を使うのをやめてしまうほうが、話が拗れずに済むんでしょう。拗れゆえに論がダイナミックに転がり出す、わけでもないですし。

 

つくづく、私は人間に興味がない。

ドビュッシーの作品のファンなんであって、ドビュッシーのファンではない。部屋にドビュッシーのポートレイト貼ったりしない。

基本の捉え方として、

音楽がこの世に聴きだされて来ることに意味がある。ドビュッシーによってしか聴きだされなかった音楽があることは、ドビュッシーの天才だしドビュッシーの個性だ。でも音楽は彼「を通して」来たけど彼「から」来たんじゃない。

というのがある。まあなんにせよ作品がいちばん偉くて、作曲者はその所有者ではなく運び人、作品の僕(しもべ)、という捉え方になってる。

だから、「人間に興味がない」ということの意味は、「人となりに興味がない、伝記的な情報に興味がない」というだけではない。

 

私は「楽曲」という言葉を使わない。クラシックの楽典に出て来ないので馴染みが無い。

ふつうに「曲」、場合に応じて「作品」「音楽」という。

(「楽曲」は、もしかしたら、著作権管理の文脈で使われ始めた語なのかな?)

ポピュラー音楽作品を「楽曲」と呼ぶのには、それがたいてい「歌モノ」である、という事情があるんだろう。「詞」と「曲」で出来てる。その意味での「曲」から区別して、「詞」と「曲」をひっくるめた完パケを呼ぶために「楽曲」なる語が編み出されたのではないか。

クラシックにあっては「完パケ」乃ち「曲」である。クラシックは「詞に曲を付けること」のほうが、ケースとしても少ないし、作曲の本義もそこに無い。