Is this just coincident?

シンクロニシティというかコウインシデンスというか奇遇というか、このところ、私が頭の中で考えたことを、直後にどなたかがブログでお書きになる、ということが5~6件立て続いてる。

ふだん私はそういうの気にしない。そんな例はこじつければいくらでも挙げられるし、私が情報を頂いてる方々は、関心の範囲が被ってるからフォロー申し上げてるわけで、一致の起きる可能性がもともと高い。

 

例えば、私は最近ある理由から Camel "The Snow Goose" の、アナログ盤でいってB面冒頭から4曲の流れを聴いた。そこで「Camel にも 'Epitaph' という曲がある」ことを知った。

その直後に、ある方が「廃車になる電気機関車のプレートが墓碑銘に見える」という内容の「エピタフ」というタイトルの記事をアップなさった。

その方はプログレをお聴きになる方で、「エピタフ」という語はプログレ者の間では「クリストファー・ブレグヴァド」と並んで最も口にされる頻度の大きい単語だから、これは「奇遇」に数え上げる例ではない。

 

でも次の例はどうだろう?

私はダジャレをひとつ思い付いたのだけど、メモることを怠って、忘れてしまった。もう思い出すことはない、と思った。

その直後、ある方が「楡家の人々」についての記事をアップなさった。それで思い出した。

「2DK の人々」!

「楡家」なんて、ヒトが一生のうちに何度思い浮かべる言葉だろう?しかもそれを2人以上のヒトが非常に近接した時間のうちにやる確率って、どのくらいだろう?

「『楡家』という言葉を、関心の対象として共有する2人以上のヒト」というのは当然あり得る。「北杜夫ファンクラブ」的な何かがあれば、その中では「楡家」は「エピタフ」にも等しいだろう。

でも、今回記事をお書きになった方は読書家でいらっしゃるけど、私は本を読まない人だ。「楡家の人々」が北杜夫の作品だということも、御記事で教わった。私がどこで「楡家」という言葉を聞き知ったのか、判らない。

「この方、私の頭の中をお読みになれる方だ!」と思った私を、誰が責められるだろう?

 

そして。

昨日私は車のラパンについて書いて「フォルム」という言葉を使った。使いながら、「ここは『シェイプ』でもよかったな。『形』と訳される英単語は、form と、shape と、......」と、咄嗟にあとひとつを思い出せずにいた。

先程ある方が「スヌーピーのフィギュア」についての記事をアップなさった。

figure!!

 

「在る形」と「見える形」の差、なのかな。

「物が持つ形」と、物と観察者との位置関係によって見える形、つまり「輪郭」。

「物が持つ形」を知るとは矯めつ眇めつ3次元的に認識すること。対して「輪郭」は2次元の情報。

form、shape、figure のうち、どれがどっちのニュアンスをより多く含むのか、忘れたけど。

「フォルム」と「フォーム」の差は、フランス人が forme といいつつ意味するところとイギリス人が form といいつつ意味するところとの差、であるより、日本語の中で使い分けられるようになった事情、のほうが大きいんだろう。