3'26" 目からの30秒間が葛生千夏 'Nature Rewards Me' なんだけど、アレンジ(キーボードの音色選び)が CD と違う。ここでしか聴けないヴァージョンのようで、ものすごく貴重。
1990年とある。この曲収録のアルバム "The City In The Sea" が1991年だから、それ以前。
まず CM のために作って、CD に収録する際にアレンジし直した、のだろうか?
CM の段階ではこの30秒間だけが存在したのか?既にフルコーラスあったのか?
葛生千夏は、自身のレーベル「さるすべり」から2枚の 7" EP
① "The Lady Of Shalott ~ The Raven"(1985年)
② "St. Agnes' Eve"(1986年)
「Salisbury」から2枚の CD アルバム
③ "The City In The Sea"(1991年)
④ "The Lady Of Shalott"(1992年)
をリリース。
①がデビュー盤ということになると思うけど、ウィキ「葛生千夏」に載ってない。
②から 'Isabella':
④の 'Isabella' の後半 1'55" 目~に組み込まれる:
吉野裕司のユニット Vita Nova には葛生も参加してるが、6枚(1996年~2004年)のディスコグラフィを見ると、歴代の「いかにも」な女性ヴォーカリストの名前が並ぶ。「女性ヴォーカル」のこういう要請のされ方に、なんか、よくある「アーティストが女性なのはたまたまなのに、女性と見ればもれなく『女性~』と冠する風潮」への違和感に近いものを感じてしまう。「いかにも」と思ってしまう私の偏見こそ問題なのだとは思います。
冒頭の「1990年野球ニュースのCM」の 1'58" 目~は、ふつうにヴァーグナーと思って聴いてたら、最後に「演奏 成毛 滋」と出る。生オケと思いきやシンセ。
ショルティの業績といえばなによりもヴィーン・フィルとの『指輪』全曲録音だけど、実家にはアナログ盤1枚、1時間分ほどのダイジェスト盤だけがあった。
ダイジェスト盤はショルティのうちたてた「世界」そのものではなくて、世界についての「情報」だ。
そして、ショルティの録音は、ヴァーグナーの楽劇の世界についての「情報」だ。
そしてそして、ヴァーグナーの作曲は、精神世界そのものではなくて、それについての「情報」…といいだすと「エクリチュールと差異」めいた別の話になだれ込むのでやめる。
情報を、重要性の優劣を付けずに全部盛り込む、長文の記事に出会うと、尻込みする。
世界を文章によって読み解くというより、文章自体が世界として聳え立ってる、みたいな。
話のアクセントがどこにあるのか、メインの筋がどこを流れてるのか、見えやすく整理することを、しないのか、出来ないのか。
長文なのは短く言う才能が無いからだろ、散文の文体でだらだら書くからだろ、といったんは思う。でも文章自体が世界なのであれば、そもそも世界はそんなに都合よく見えやすいものではない。読者の読み解きの積極性が問われてる、ということなんだろう。
私自身は「ダイジェストを生きてる」感が強い。記事を書く時も、そもそもアーティストや作品の「行き届いた」紹介文にする気が無い。つねに、私自身が「聴き取った」こと、私自身がハッとした出会いの瞬間を発端にする。情報記事としては、偏ってるし、不十分だ。