確認しておく。音楽を「作る」立場の者こそ「音楽は政治に関わることが出来ない」と表明せねばならない。音楽に対して、政治に対して、自らが厳しくあるために。
嘘をつかないために。
「音楽に政治を持ち込むな」以来、「音楽と政治が関係あるのは当たり前」という立場の意見を見るたびイラついてたけど、以前これ
を書いておいたし、改めて書くのに乗り気になれずにいた。
ただ、「関係当り前」派から見て「持ち込むな」派がどうイメージされてるのか、という切り口で書ききれてなかった。
たぶん、「政治に無関心」と見えてるんだろうな、と。普段から政治を積極的に考えて、関わって、音楽も積極的に聴いて、作って、なおかつ、だからこそ「音楽に政治を持ち込むな」と考える者の存在って想定できてないんじゃないか。
音楽と政治が本当に関係しあえるのか?を真摯に考え詰めて、結果それを「積極的に諦めた」者の存在。
「音楽することを以て政治する」ことが「嘘をつくことである」という感覚、ポリシー。
その者から見れば、政治的メッセージを乗せた音楽こそ安直だ。短絡だ。ごまかしだ。
ヘタすると、政治的であることを言い訳に、自らの音楽の、音楽自体としてのクォリティを問うことを手加減してないか?
音楽を政治を本気で考えてるのはどっちだ?