中国の箜篌と簫の音楽

CD "Riverside Scenes On A Bright Day"(中国唱片 CCD 89/051、1989年)から。

いろいろ調べたところ、演奏者と担当楽器は、

崔君芝 Cui Junzhi:箜篌 konghou

張維良 Zhang Weiliang:簫 xiao

のようだ。

 

楽器は伝統楽器だけど、曲はどうだろう?

純粋に古典曲なのかどうか。ずいぶんモダンな響きに聴こえる箇所もある。

中国は伝統をそのままの形で残すより、現代に相応しく改良するイメージがあるので、その例だろうか?あるいは新作?

古典の現代なのか、現代の古典なのか。

 

広瀬香美作曲の、NHK「新漢詩紀行」の音楽が好きなんだけど、案の定、つべには無かった。NHK なので。

でもこれを見つけた。

「新」になる前の「漢詩紀行」。辛うじて1動画だけ上がってた。主音声のみ。

何年から何年まで放送された枠なのか特定出来ないが、なんか、気骨のあった時期の NHK というふう。必要な情報だけで出来た、引き締まった作り。

で、このつべの説明欄に、「この動画の音楽」として、最初に貼ったつべがリンクされてた。番組 BGM に使われた、元 CD。

 

無学の私が見ると、オリジナルの漢詩世界を尊重する立場からは、中国の演奏家によるこの音楽こそ BGM に相応しい、と見える。でもそれは漠然とした「中国」のイメージのもと、漢詩と、BGM と、映像を、一緒くたに見ることだ。

中国は広いし、歴史が長いし、民族・文化が入り乱れてる。その中国を一括りに見ることも危険だし、もしかしてこの BGM が、阪神タイガースの映像に「巨人軍の歌」を付すような真似であったとしても、私はそれに気付けない。

 

いっぽうで。 

たしかに、日本の作曲家が音楽を付けることは、余分な脚色だ、という立場はあり得る。

でも、漢詩は「中国文学」であることを超えて普遍的な「世界文学」だ。

私は漢詩を「中国人のように」理解することは出来ないが、逆に、私が私の読み方で、各文化圏の読者がそれぞれの読み方で読むことで、漢詩が「中国文学」から「世界文学」になる、ともいえる。

広瀬香美の音楽が、漢詩を世界文学にする。

 

筆が辷った。こういうこと書くつもりじゃなかった。

わたし的に広瀬香美は「作曲家」だったんだけど、世間的には「ヴォーカリスト」として認知されてるらしい。

フィル・コリンズってドラムも上手いんですね!」みたいなこと言ってるかも知れないが。

 

ところで、むかし見た NHK の15分番組「中国名園紀行」シリーズのひとつ「頤和園」で、「十七孔橋」の「七」を「しち」ではなく「なな」と読んでたのが気になった。中国の文物の名前は音読みだろうに。何か積極的な意図があったのでないとしたら、スタッフの誰も気付かなかった、ということなのか。

ナレーターは増山江威子さんだった。