邦題文化

アーティストの意図の正確な理解のためには、そして私個人の感覚としては、邦題は、それがどんなものであれ「不要」だ。

でもそれでは「売る」という責任を果たせない。「アーティストの意図を正確に伝える」ことと「訴求力を最大にする」こと、ふたつのベクトルのあいだで「アルキメデスの支点」を探り当てた解は「名邦題」と呼ぶべきだし、それはじっさい存在する。

邦題に限らず、作品そのものの発信する波が各所各条件下で渦を作るのは、それはそれとして楽しい。

私はプログレの人、1970年代スピリットの人だ。1970年代は邦題文化がいちばん花開いたディケイドのように見える。

 

邦題が必要になるのは、原題が何かしらの前提を踏まえてて、その前提を外国人である日本人が共有し得てないから。

 

『新世代への啓示』

"A YOUNG PERSON'S GUIDE TO KING CRIMSON" は、盤のレーベルの表記はこうだけど、ジャケでは "THE YOUNG PERSONS' GUIDE TO KING CRIMSON" となってて、冠詞が違うし、person が複数形になってる(英語版 Wikipedia では「A Young Person's Guide to King Crimson」で項目が立ってる)。

なんしろ、これがブリテン "The Young Person's Guide to the Orchestra" のパロディだからといって、邦題を『青少年のためのキング・クリムゾン入門』にしたら、果たして「売れる」かどうか。

元ネタがブリテンであること、アーティスト側のパロディ精神、それがもしかしたら「我々キング・クリムゾンは1974年の "Red" を最後に解散した過去の存在、若い方々にはお馴染みが無いでしょうが」という自虐を含むのかも知れないこと、までを日本に住む我々が前提として共有するのは不可能だ。

あと、当時キング・クリムゾンというとシリアスでヘヴィーで有難い音楽と思われてた節があるし、ことに日本ではそうだったかも知れないし、そういう諸々の要請から導き出された『新世代への啓示』は最適解だ。

 

『未知への飛翔』

'Fish' はクリス・スクワイアのニック・ネーム。"Fish Out Of Water" をリテラリーに『魚、水の外へ』としても、もしこのニック・ネームが前提として共有されてれば、イミフではない。売れないにしても。

Fish がスクワイアなら、Water は「イエス」、ないし「バンド活動」だろう。イエスというバンドのいちメンバーとしてのスクワイアはすでに思い切り評価されてるが、ソロ・アーティストとしては未知数だ。

ふつう、魚は、水の外に出たら、死ぬのだ。原題は、まずもって、そういう「ざまを晒す」「自虐」の絵を思い浮かばせる。ところがこのアルバムの内容の素晴らしさが、このタイトルを「自負」に転化させる。

この大意を外れず、かつ「かっこいい」『未知への飛翔』は、名邦題だ。

 

『おせっかい』

"Meddle" の邦題の候補に『干渉』は挙がってなかったんだろうか? こっちのが、当時求められた「かっこよさ」に合致すると思うのだけど。