「浮世離れ」は褒め言葉

ふと思い出した。

あるロック雑誌のバックナンバー(1970年代後半頃の)にイエスの記事があり、スナップショットが数点載ってた。ハウやスクワイアが、スタジオに乗り付けて横付けした自家用の「でっかい外車」から降りて来るところの。ナイーヴだった私は、これを見てたいそう幻滅したのだった。

ロック・アーティスト、ことにプログレのアーティストについての勝手なイメージがあった。求道者であって、音楽以外の、クルマなんかにお金を掛けないものだと。

やってる音楽内容が超俗イコール人格が超俗・生活が超俗、というかそもそも彼らが「生活者」であるなんて思ってみもしなかった。

小6の私の幻想によれば、プログレ・アーティストは、まず実用としても、自動車という文明の利器を使ってはいけないし、まして社会的ステイタス・シンボルとしての「でっかい外車」を買うことに幸福を見出すなど、やってはいけなかった。

じゃあどうやってスタジオ行くんだよ? 彼らはロジャー・ディーンの仙境に隠遁し、世俗との交わりを絶って創作活動に沈潜している。都会のスタジオにふつうに現れたりしない。

 

彼らが家族とともに収まる写真もショックだった。アーティストが、結婚したり、家庭を営んで世俗社会に属したりするのだということが。

もうひとつ思い出した。親友の結婚式の寄せ書きに、私は「つつがなく余生を送って下さい」と書いたのだった。

もちろんその時私は彼女の結婚を心から祝福してた。彼女とは思春期以来、音楽についての価値観を共有し、音楽にそして音楽家に、超俗を求めるセンスを共有して過ごした。「その私が結婚なんかするなんてね」とは彼女自身口にしてた、その前提があっての寄せ書きの文言だった。

ちなみに私は今も超俗を保っている。