しぎ・チドリ氏の御記事『キャメル:大人の事情というやつ』

記憶はこの上なく曖昧なのですが、むかし The Rolling Stones のおそらく1960年代のとあるライヴ映像で、メンバーの顔アップやバストアップの絵ばかりが続くのに、「いいから Keith Richards の手元を映して!」と苛立ったことがありました。

撮影者にとってロック・アーティストは音楽家ではなくアイドルなのか?と。

 

まあ、Allan Holdsworth の撮り方なら、手元とくに左手を抜いてくれ、となるし、Robert Fripp についてなら、手元に加えて、「姿勢の正しさ」を撮るために全身を、となります。

この点ストーンズについては、どう撮るか、すなわち彼らをどういう存在と見るか、には微妙なところがあります。このバンドは、「音楽内容」よりも、Mick Jagger や Keith Richards の「キャラクター」勝負なところがある。

 

私自身は、ロック・アーティストを含む音楽家について、彼/彼女の齎す「音楽」に興味があるのであって、彼/彼女という「人間」に興味があるのではないので、冒頭述べた感想になった、ということです。 

 

 

しぎ・チドリ氏の御記事。

Camel - Rhayader / Rhayader Goes to Town (Live)

From Total Pressure, Live in Concert 1984 Performed at the London Hammersmith Odeon, 11th May, 1984 

Peter Bardens のオルガン・ソロの箇所について「彼のアップ、顔等が殆ど映し出されない」とご指摘になり、「なんらかの大人の事情的力が働いているのだろう」とお読みになっています。

「この辺の経緯や理由をご存知の方は是非教えてくだされ」とのことです。

 

じつは私の印象はやや違っていまして、「オルガンを弾く手元を、ベストアングルから撮ったカットがそれなりに多く含まれる」ことを喜んだのでした。(「音楽勝負」の音楽である)プログレのステージ・パフォーマンスの撮り方として正しいと思ったし、これは全くの憶測ですが、バーデンズ自身がこの撮り方を要望した可能性も全く無くはないかも??と思います。