デュアメル『ヘラクレスの功業』

おせちもいいけど、デュアメルもね。

 

実家にアントワーヌ・デュアメル Antoine Duhamel (1925 - 2014) のオペラ『ヘラクレスの功業 Les Travaux d'Hercule』の LP があった。RVC の日本盤「エラート現代音楽名盤選」シリーズの1枚。

1981年初演。LP は1982年録音、1983年リリース。

シリーズに含まれる作曲家たちの、流派やスタイルにヴァラエティがあるとはいえ、セリー音楽にしろ、メシアンにしろ、オアナ、デュティユー、シェーヌらの保守勢にしろ、いわゆるクラシック現代音楽の正統のどこかに位置づけ出来そうな中にあって、この1枚だけ異質だった。カタログの最後尾に列せられた1枚だったと思う。

メシアン、レイボヴィッツに学んだ人らしい。私はこの1枚だけでデュアメルを知ってた。映画(ゴダールトリュフォー、など)のための作曲で知られてることを、最近知った。

 

以下、画像は拾いました。

邦題は『ヘラクレスの物語』

 

フランス・オリジナル盤のジャケにはこういう舞台写真が:

 

パート1、パート2、それぞれ30分、トータル1時間のうち、つべに冒頭部分6分間が上がってる:

 

日本盤 LP の裏ジャケには、作曲者デュアメル自身のノートの翻訳(訳者現時点で確認出来ず)が載ってた。以下。

 

青少年のためのオペラ

なぜヘラクレス(ヘーラクレース)か

ギリシアの半神ヘーラクレースの伝説は、多かれ少なかれ記憶にあいまいなところがあるにせよ、誰もが知っているものである。ヘーラクレースの一連の難行の物語は、波瀾に富み、神話の世界を生き生きとくりひろげ、時にこっけいで時に悲壮なエピソードに満ちている。これは一篇の劇画であるとともに、人類全体が理解しあい、語りあうよすがともなる、永遠の伝説のひとつなのである。

数多くの偉大な伝説を深く読みこんでゆくと、それらの伝説が常に同じひとつの物語を語っているのだとの思いがしてくる。しかしそれは別に驚くにあたらない。なぜなら、この地球上の時代や文明がいかに多様であろうとも、人間はひとつだからである。

登場するのはいずれも歴史以前の時代の一人の英雄であり、彼の行為の偉大さは、もろさという人間の宿命にしばりつけられている場合にも、なお神の性質を帯びているのである。

彼は宇宙的規模で私たちをとりまくあらゆるものと関わってゆく。動物や怪獣、自然や気象の力、地上的・天上的空間、大地、天空、火、水、そしてそれ以上に上方にも下方にもさらに遠くにあるものと関わりを持つのである。

そうした所で、様々な問題に直面して、それまでに学んできたあらゆる知識や、技術を動員させて、彼が最もしばしば演ずる役割は、新しい問題に新しい解釈をもたらすことであった。創造的体験である。

彼は敵対的勢力にさらされているが、貴重な味方も持っている。脆弱な支配者や意地悪な君主から理にあわぬ掟や仕事を押しつけられるのはしょっちゅうのことである。不吉なものにせよ、好意的なものにせよ、先祖やもろもろの権力がかわるがわる彼の人生の出来事に重くのしかかってくる。

そして、もし父と母、主人、友人ないし敵が、彼の精神世界の基本的方位を示すのだとすれば、彼の生は、もたらされるものが幸福か罠か知らぬままに、約束された女性に対する希望へと向かうのである。

このような英雄を特徴づける定数はヘーラクレースにもみられるところである。私たちが語ろうと思い描いていたのはこの定数のことなのだ。バビロニアの英雄にしろバントゥー族のにしろ、エジプトのあるいは日本の、キリスト教徒のあるいはアラビアの、ギリシアのあるいはアマゾン族の、聖書の中のあるいは異教徒の、格調ある文学作品ないし民族学の文献中の英雄にしろ、それら雲なす英雄たちにこのギリシアの英雄を近づける要諦を、ヘーラクレースを通して考えようと思うのである。

 

テキスト

クリスティーヌ・マレと私の間で生まれた計画にルイ・エルロが賛同し、次いでピエール・バラが加わった。私たちは長いことかけて、この伝説をオペラ劇場とは違う場所での青少年向けのスペクタクルに仕立てようと想を練ったのだった。私たちはこの伝説を人を驚かすやり方で用いたかったのである。

舞台装飾法、舞台装置、また自らも劇場に組み込まれて芝居に一役かうように要請されている観客、そのまわりでの動きのわりふりなどを話しあっているうちに、物語は少しずつ形をなしてきたのだった。

私がこれを幾度となく熟慮反復し、考えを深めていったところへ、ピエール・バラは論理的一貫性をもってこの物語を簡明に語り出すためのすぐれた方針を提案してくれたのだった。

この最初の一連の作業から草案ができあがった。これは私たちの共通の要求を満たすものであり、あまりにも豊饒すぎる物語を簡潔にし、短くし、改編したものだった。

私はテキストと音楽の制作を同時にすすめていった。必要な言葉はたえずホーメロスやエウリピデスギリシアの詩人の書にたずね、あるいは自分の心の奥をさぐって、見つけ出してきたのである。

 

音楽

この音楽は、物語と、音楽家たちと俳優たちの全体とが、厳密に釣り合ったところになりたっている。

神々やヘーラクレースをとりまくもろもろの力は、6人の歌手により表される。彼らはサーカス団員であると同時に(なぜなら私たちはサーカスのテントの中にいるのだから)、ゼウス(ゼウス=ロワイヤル)、ヘルメース、エウリュステウス(ゲーリュオネウス)、ヘーラー、アテーナーアルクメーネーなのだ。六重唱は三重唱にも二重唱にも独唱にもなり得るものである。

8人の音楽家が演奏を担当する。ただし、昔の大市の見世物で語り手や大道芸人の演技を助けていた音楽家たちのように、彼らも肉体的に劇の運びに参与させられている。

ヘーラクレースひとりだけが、みんなとちがって、俳優であり、軽業師である。

6人の踊り手が人間や動物役をつとめる。

スペクタクルのために用意された子供たちのグループは古代劇の合唱隊のような役を果たしている。俳優と観客の仲介者として、彼らは物語を知っていて、歌で、リズムで、動きで、物語を解説し、その進行を助ける。

音楽の作曲はひとつのエピソードと他のエピソードとの明確な対照の上に構築されている。声楽と楽器の構成は各場面毎に新たにされる。朗唱と器楽演奏のコントラスト。相反するスタイル。堅苦しいスタイルからサーカスのスタイルへ、古風な表現からロックへ、厳格な作曲から集団のアドリブへ。

アントワーヌ・デュアメル

 

Discogs:

https://www.discogs.com/ja/release/1797241-Antoine-Duhamel-Cohelmec-Les-Travaux-DHercule