コンセプトが明確で、それに沿う正しい聴き方・読み方がある音楽は、優れてる。
いっぽうそのうえで、聴き手の感覚や意識を刺戟し開かれたものにする音楽、曲のコンセプト自体とは直接関係の無いイメージやアイデアに聴き手の連想を飛ばす、聴き手ひとりひとりそれぞれの連想を喚び起こす音楽も、優れてる。
この For Nina 'Tricycles Hide And Seek' を拝聴したのをきっかけに、私の中で、脈絡なくとりとめなく連想が広がってしまいました。
今記事は、御作に即してではなく、あちこちに飛び散った勝手な考えを書き留めます。
Ⅰ.
アナログ盤のスクラッチノイズ(パチパチ音)を素材に曲を作り、スクラッチノイズの多いアナログ盤でリリースする。
スクラッチノイズを使って緻密に構成・作曲した曲を、本物のスクラッチノイズの中に放り込む。両者が重なって偶然のリズムを生むということでもあるし、それが盤1枚1枚それぞれ違うということでもあるし、経年変化してゆくということでもある。それを含めての作品。
「生モノ」と「情報」との差異を判別できない状態。
カセットテープのヒスノイズ、ことにその、テープ基材の縒れから来る音像の揺れを素材に曲を作り、縒れの多いカセットテープでリリースする。
アナログ回線のクロストークを素材に曲を作り、クロストークの多い回線で送る。
Ⅱ.
スレッショルドの際(きわ)での情報の振舞いに、いつも興味を惹かれる。
闇(=ある限界線を下回る光量)にスマホカメラを向けて撮ると、微かな色のしみが写るけど、同じ方向同じ被写体を撮っても毎回しみの範囲とその色味が違う。闇から色を検出してるのか? それとも、カメラは、感光のスレッショルド間際をいずれかの色に置き換えねばならない、たまたまの発色なのか?
コピー機で白黒の原稿をカラーコピーする時、拡大コピーのそのまた拡大コピーというのを繰り返すと、白と黒の境目に3原色のドットが現れて来る、ということがあった気がする(子ども時分の遊びなので記憶曖昧)。この色は何がどうやって決めてるのか?
情報の正確な読み取りとか複製とかからすると「ノイズ」「エラー」。
ノイズゲイトのスレッショルドきわきわの音量で音像が不安定になるのを、不都合として排除せずに、面白がる。
出来事としては微細。「微かさ」とは音量の小ささのことだけじゃなくて、「差異」が微かであればそれは「耳を澄ます」対象。
Ⅲ.
子どもの頃、ラジオ第2の「気象通報」を聴くのが好きだった。天気図を描くためとかの目的は無くて、音声として、風情を帯びる音風景として、聴いてた。
理科年表のページを、内容を理解せずに、眺めるのに似た風情。
'Tricycles Hide And Seek (Right)' には1か所、「気象通報」が、それと判る形で、出て来る。この箇所だけが異質なのか、異質じゃないのか。
そもそも、この曲のどの箇所も、
①サンプリング元のコンテクストから引き剥がして来ることによって発見された音の出来事、純粋にそれ自体としての美しさ
と、
②サンプリングされた音を素材とするが故のイメージ喚起力、ある種の「なつかしさ」
とのあいだで、微妙に揺れてる。
サンプルが、その属してたコンテクストを引き摺って来る程度が、大きかったり小さかったり。
「気象通報」の箇所もその一環で、これを①として聴くか②として聴くかは、聴き手が、ソースが「気象通報」であると知ってるか知らないかで違ってくる。
私にとってたまたま「気象通報」が親密な音風景だったから、ここだけ異質かも?と思っただけで。
Ⅳ.
この曲を私は「叙情的」な音楽の一典型と思ってしまうけど間違ってるかも知れない。質感が魅力の。
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