下書き放出(チャンス・オペレイション)

ツイッターでフォロー申し上げる方からご教示頂いたつべ。

高橋アキ西村朗のやり取りで、貴重で興味深いエピソードをいろいろ聞けるんだけど、1か所、解せない。

33'52" から、ジョン・ケイジがチャンス・オペレイションの考え方で曲作ってると、いい加減に演奏する人がものすごく多かった、という話になる。

これをケイジが批判するのを、私も読んだことがある。

ところが、これを承けての西村朗の返しに、耳を疑った:

「だけどチャンス・オペレイションだからしょうがないじゃないですかね」「ものには限度があるということで」

限度の話=程度問題、じゃないです。

「作曲」を「易」に委ねるということをケイジはやってる。でも「演奏」は、示された結果に厳格に従わねばならない。そこのところの「偶然性」を履き違えてアバウトに演奏する者が多かった、という話なのに、西村は話を振り出しに戻す。

西村も履き違えてる側の者、ということになる。そんなことがあり得るだろうか?

 

高橋アキの演奏はもちろん硬質でシャープで凄いです。掛かるのは、録音物で、

武満徹「ピアニストのためのコロナ」、高橋悠治「メタテーシス」、松平頼暁「ピアニストのためのアルロトロピー」、ジョン・ケイジ「季節はずれのヴァレンタイン」、モートン・フェルドマン「Piano Piece(フィリップ・ガストンのために)」

です。