放出するものとしての下書き

言い回しとして全く正しいし有用なんだけど、たんに頻繁に見掛けるためにうんざりなものってある。

「〇〇としての△△」もそうで、放送大学の講義のタイトルの、私の印象としては半分までがこれで、頻繁に使われるのは、学問のために積極的に有用だからであって、惰性で使われてるんじゃないのは判ってるんだけど。

 

たぶん2種類の使われ方があって、

① あるタームなりトピックの複数の語義なり側面のうち、ここではこの視点でこの語義・側面に特化する、そのことを以て学問を立ち上げる、という場合と、

② 「△△が〇〇の語義なり側面をもつ」と唱えること自体が、新奇だったり、場合によって牽強付会だったりする、「命題として立ててみてる」さもなくば「耳目を惹くことを企図してる」場合。

 

②のようでいて話をよくよく聞いてみると①、と納得させられるものがいちばん面白いんだろう。

 

エゴサしてみるとじつは私自身うっかり使ってる。

弁天さまの御使いとしての白蛇

ファッション・アイテムとしてのランドセル

モデュレイションとしてのディレイ

ウワモノとしてのベース

6/4拍子を基調に4/4拍子が挿入される「変拍子としての4拍子」

楽器としての短波ラジオ

エントロピーの捨て場としての宇宙

 

「ドラマーとしてのロジャー・テイラー」は、「のファンっていたんだろうか?」と続く陰険なツイートだった。

 

 

不覚にも笑ってしまった:


関連記事: