続・ラヴェル

私の聴いたラヴェル演奏の中から、好きだったものを。

 

・オーケストラ曲

私にとって「よい演奏」=「曲のことが判る演奏」。

 

ラヴェルのオーケストラ曲の演奏の聴き較べを、私は『スペイン狂詩曲』でやる習慣がある。

ブレーズは1970年代にニューヨーク・フィル、1969年にクリーヴランド管でラヴェルのおもだったオケ曲を入れてるけど、つべに上がってるのは後年の入れ直しばかりみたい*1

『スペイン狂詩曲』はクリーヴランドとの1枚に入ってる。私が聴いた中ではいちばんたくさん音が聴こえてくる、各パートが分離して聴こえ、その相互の関係つまり曲のことオーケストレイションのことがいちばん判る演奏。雰囲気には乏しい。

モントゥー/LSO のものも曲を正しく形にしてる、しかも詩情を纏ってる。ドビュッシーラヴェルを入れたデッカの1枚に収録。

 

ブレーズ/ニューヨーク・フィル『ラ・ヴァルス』など、開始部の木管パートのフィーチャーのしかたが、いかにもトラックダウンで作ったみたいな音像で、ライヴでは絶対こうは鳴らない。そこがいいんだけど、他人様にお薦めするのは小澤/ボストン響だったりする。曲全体を通してのテンポ設計とか、勢いとか、なにより所要時間が短めなのがよい。でも小澤/ボストン響の録音はいったいに、分離が悪くて、オーケストレイションを絵解きするのではなく、ブレンドした結果としてのオケの音になってる。

 

モントゥー/LSO の、曲の正しい音化と、響きの「夾雑物の無さ」が、しかし『ダフニスとクロエ』(全曲)では逆に作用して、素っ気ない「やっつけ仕事」に聴こえて困った。そこの差が何なのか、言い当てられないけど。

 

私にとってかけがえないのはマ・メール・ロアの、かつオーケストラ版の、かつ「組曲」。つつましやかな小品が5つ並ぶ佇まい。

5編のひそやかなエピソードに耳を澄ますためには、前提として、静寂の水準線を引かねばならない。「バレエ全曲」のために書き足された箇所は、ときに喧騒の域にまで盛り上がって、5曲が正しく聴かれるための環境を少なからず乱してる。

演奏は、ジュリーニロサンジェルス・フィルがベスト。これほど「静寂の水準線」を引きまくってる例は他に無い。聴き手の「積極的な耳」を要求してくる。

 

あとシェエラザード。この曲は私にとって「オケ伴奏の歌曲」ではなく「ヴォーカルパートをもつオケ曲」。シュザンヌ・ダンコ(ソプラノ)、アンセルメ/OSR の、ステレオ最初期、1954年の録音。

アンセルメは他に、同じダンコ、OSCC との1948年録音、レジーヌ・クレスパン、OSR との1963年録音がある。

 

ピアノ曲

『夜のガスパール』 アルヘリッチ。*2

 

室内楽

『ヴァイオリンとチェロのソナタ』 アンサンブル・ヴィーン=ベルリンだと、ものすごく立派に豊かに鳴って、本来もっとギスギスした曲なんじゃないの?と思う。

 

・協奏曲、協奏的作品

『ツィガーヌ』は演奏者によってアプローチに大きな差が出るのが面白い。知的に曲を音化するのか、演奏の身体性なのか。クラシックのマスターピースなのか、民族音楽なのか。 

と、昔 BS「クラシック俱楽部」を聴いてて思ったけど、CD は有(も)ってない。

 

・オペラ

『子供と魔法』 アンセルメ/OSR。

 

・声楽(パートを含む)曲

シェーンベルク月に憑かれたピエロ』にショックを受けて、ストラヴィンスキーは『日本の和歌による3つの歌曲』を、ラヴェルステファヌ・マラルメの3つの詩』を書いた。

ラヴェルから1曲だけ選ぶとしたら、これ。

演奏は、ジル・ゴメス(ソプラノ)、ブレーズ/BBC交響楽団

これもダンコ、アンセルメ盤があるけど、ミックス・バランス的にヴォーカル・パートをフィーチャーしてるのが残念。私にとってこの曲は「歌曲」ではないのだ。

 

マダガスカル島民の歌』 ジェシー・ノーマン(ソプラノ)、アンサンブル・アンテルコンタンポランのメンバー: アラン・マリオン(フルート)、フィリップ・ミュレール(チェロ)、ピエール=ローラン・エマール(ピアノ)。

 

無伴奏合唱曲『3つのシャンソンガーディナーモンテヴェルディ合唱団。

*1:追記 2024年02月21日

その後 NYP とのものが(たぶん全部)上がってるのを見つけた。なかで、私が中坊の頃、その分解能に度肝を抜かれた『海原の小舟』を。各声部各パートが、色面ではなく「線」、というよりももっと「粒々の連なり」で聴こえて来て、それまで聴いていたクリュイタンスや小澤とは全く別曲に聴こえたのだった。

*2:追記 2022年5月20日

最近ポゴレリチを知った。