こういう下らない記事ほど熱心に手直しする。
書きながら、作詩のきっかけになりそうと思った。ふつうに現代詩みたいじゃないか。
私は作詩とヴォーカル録りをやったことがない。ブログ記事を書く時、文章を「詩」ならしめんとするけど、ことさら「作詩」となると、何をどうすれば書けるのか皆目判らない。でもきっかけを掴めればどーっと行けるんじゃないかとも思う。
詩を書けないのは、詩は何か真実を言い当てねばならないと気負うからだし、気負ったからとてどうにもならないから。空耳を作詩のきっかけにするとは、真実をいったん諦めることのようでいて、論理の亀裂からこそ真実が流れ込んでくる例は、詩の歴史にありふれている。
投稿後にこちょこちょ加筆するのはいくないけど常態化してる。
ところで、スプラッシュ・シンバルといえば、KORG01/WFD には、致命的なことに、スプラッシュ・シンバルの波形が搭載されてない。しかたなく、ふつうのクラッシュ・シンバルのピッチを上げ、ディケイを短くし、同じものをふたつ、クロック単位セント単位でずらして重ねてキャラを際立たせたものを、スプラッシュと同様の役割で使うけど、次善の策でしかない。スプラッシュの音色のキャラ立ちよ。