たのしい〈反日〉

反日」ときくと反射的にこれを思い出す。

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小杉武久、かざまきたかし(風巻隆)の LP『円盤(LIVE AT THE すとれんじふるうつ)』(Fool、1983年)の、かざまきによるライナーノーツ。

 

  即狂のおと

・即狂は 音楽の1ジャンルとしての 即興演奏(インプロヴィゼーション)ではなく

 また 芸術(アート)の1ジャンルとしての パフォーマンス でもない。

・それは 単なる その場かぎりの 目茶苦茶・デタラメ かもしれ

 ないし、あるいは 根源的なところで誰もが持っている

 〝生への衝動〟かもしれない。

・一人一人の「生」が、本来自由であるべき「個」の生の営みが

 国家や社会の制度や慣習によって 型にはめられ、歪め

 られている今、〝生への衝動〟を自らの表現として解き放

 つとすると、どうしても「権力」と対峙することとなる。

・音を出すことは楽しい。与えられた安全な場所をとびだして

 街へ出ていきたいと思う。雑踏の中、いったい自分に何が

 できるか、今ここで何をしようとしているのか、人の視線におび

 えてドギマギしながら、音を出す。自分の音を聴きながら、

 自分が自分でなくなっていく、街の風景が変わっていく ....

 そんな気もする。多くの人は無視をきめこむが、子供達は

 きまって その小さな体全体で音を聴いてくれる。

 そして おまわりの登場だ。道路不正使用 !? バカな !!

・即狂は いろんな約束(構成・テーマ…)をとりいれたり、誰かの

 やったことをマネたりはしない。自分で一つの固定したスタイル

 を作っていったりもしない。何故ならそれも「権力」なのだから。

・即興演奏の巨匠はウン10万、有名人はウン万のギャラを

 要求する。外タレを崇拝する何もしらない客たちは、大きな

 会場で つまらない演奏をきいて、高い入場料の分だけ満足

 して帰る。即狂は 金をあいだにいれないで、人と人との

 関係を 変えていくことを考える。人と人との触れあいで音を

 作っていく。即狂は 何も支配しないし 支配されもしない。

・即狂は 言うまでもなく「今」を生きていく。未知の可能性を

 「今」にかける。今ある自分を捨てて気づかない自分を生かすこと。

 (死と再生の絶ゆまざるくり返し)それなら、日本人としての自分、

 天皇制侵略国家・日本帝国主義における善良な市民としての

 自分を捨てさることだってできるはず。即狂を生きることは

 〈反日〉を生きることにもつながっていく。

・もちろん即狂は「主義」だとか「思想」だとかに自分をあて

 はめはしない。むしろ自分自身が「主義」であり「思想」なのだ。

 一人一人の即狂は 各々違った輝きを持っている。それが美しい。

 自分自身を生きることは 即狂でもあり、たのしい〈反日〉でもある。

・即興演奏は、一部のマニアのものになるか 商業資本の食い物

 にされるか、いずれにせよ 次第に活力を失っていくだろう。即狂

 は現実を変革していく。様々な運動の前線へ出没し、

 また、マスコミや音楽産業をたよらずに 自分達のネットワーク

 を作っていく。いろんな所でいろんな人といろんな形で即狂

 を繰り広げることで〝叛逆の情念〟を呼び起こしていくだろう。

・レコードは、〝今、ここ〟で行なわれる即狂ではなく、〝あの

 時、あそこ〟行なわれたものの記録でしかない。

 しかし 即狂は レコードから飛び出してでも「今」を問いかけ

 はしないだろうか。その時その場によって一回一回新しい

 音に、まるでちがった風に きこえはしないだろうか。即狂は

 いつまでも「作品」となるのを拒みつづける。

・そして(これは いちばん 大切なことなのだが)

 即狂は ボクにとっても 誰にとっても いまだに 大きな

 でしかないのだ。

           83. 3.28  かざまきたかし

Discogs:

https://www.discogs.com/ja/master/956860-%E5%B0%8F%E6%9D%89%E6%AD%A6%E4%B9%85-%E3%81%8B%E3%81%96%E3%81%BE%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%97-%E5%86%86%E7%9B%A4Live-At-The-%E3%81%99%E3%81%A8%E3%82%8C%E3%82%93%E3%81%98-%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%81%85%E3%81%A3

私にとって「反日」という言葉がポジティヴ、というより当たり前になった端緒はこのライナーノーツだったと思う。