山本哲也:山羊の時間
Tetsuya Yamamoto : Temps de Chèvre*1 (2015)
指揮 阿部加奈子
演奏 Tokyo Ensemnable Factory
(Fl 若林かをり/Cl 山根孝司/Perc 岩崎愛子/Acc 大田智美/Vlc 山澤慧)
2016-2-5 at Cultural Hall of Shibuya, Tokyo
山本哲也(1989年 - )
「国立音楽大学音楽文化デザイン学科、同大学大学院修士課程修了。マルセイユ地方音楽院とリヨン国立高等音楽院を経て現在はリール地方音楽院に在籍。マルティン・マタロンに師事[1]。作曲を川島素晴、北爪道夫、レジス・カンポに、ピアノを井上郷子に、指揮法を夏田昌和、森垣桂一に、笙を宮田まゆみに師事。日仏現代音楽協会、作曲の会「Shining[2]」元会員。」
(歳下…)
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つべのリンクに挙がって知った曲。初めて知った作曲家。
たしかに、張り詰めた持続の美しい、音像が鋭敏に研ぎ澄まされた曲だし、好きだからこそ取り上げてるのだけど、書きながら疲れを覚えてもいる。
日頃の「プログレ」への徒労感と同様、「現代音楽」が「既成の語法」として「修められる」ものになってる世界を感じてしまう。大きな誤解かもだけど。
山本氏ではなくて別の話だけど、以前ツイッターで「現代音楽作曲家」をプロフで自称なさってる方を見掛けた。自分のやってることを「現代音楽」と規定する、とはどういうことなのか?
仕事のために「通りがいい」名乗りなのだろうとは思う。
サイトで何曲か拝聴した範囲ではどの曲も、戦後アヴァンギャルドよりももっと保守退嬰的だった。あるいは1980年代あたりの新ロマン主義に近かったのかも。不協和だけど審美的な。
「現代音楽」はジャンルなのか?
私が問題にしてるのは「新しいか古いか」ではなくて、恰も「現代音楽」という語が特定のスタイルを指すべきであるとするかのような発想が解らなかった。