シルクロードの日

喜多郎に「シルクロード」という曲があって、これがまあ、シンセでいちばんやっちゃいけないことの見本というか、素人が陥るパターンの典型で、びっくりする。
適当なコード進行に適当なメロ。コードといっても、8分なり16分なりの単調なアルペジオの反復+アコギのコードストローク+白玉コード。「和声」ではなく「コード進行」。「作曲」ではなく「作業」。
作業する当人的には、徐々にトラックが重なっていって、豊かになっていく気がするので、客観的にそれがものすごく貧しい音楽だということに気付きにくいのかも知れない。
これが1980年代のNスペ、シルクロードを取材したドキュメンタリーのテーマ曲だったというので、さらに驚く。
シルクロードには、各地に、豊かな音楽があるのだから、「本物の」シルクロード音楽を使えばよかったんじゃないか?
たしかに、「シルクロード」というタームのカヴァーする範囲は、地理的にも広大だし、文化は多種多様だし、そのうちのどれか個別特殊の音楽を使ってシルクロード全体を代表させることは出来ない、トータルなイメージが欲しかったという事情はあるかも知れないけど、喜多郎の音楽は、「シルクロードをドキュメントする」ことから遊離してる。
喜多郎の音楽を当ててシルクロードの映像を見せるって、どういう演出意図なんだろう?「生の」シルクロードを視聴者に体験させる、ということは幻想ではある。「ドキュメンタリー」が「パッケージ」であることは免れない。にしても、折角の真っ当な現地取材の映像が、喜多郎の音楽を当てることで、死んでしまう、ということは無かったんだろうか?
 
 
カラシュ族が気になる。
カフィール・カラシュ。
ヒンドゥークシ山脈の麓、ボンボリットの3つの谷で自給自足する。約3,000人が20の村を形成する。容姿も、言語も、周りのどの民族とも似ていない。
「カラシュ」は自称で、「極度に貧しき者」「持たざる者」の意味らしい。
「カフィール」は「無信仰者」ないし「異教徒」の意味らしい。ペルシャ世界から見て、イスラムでもヒンドゥーでもゾロアスターでもないために、そう呼ばれ出した。独自の多神教を奉じてるらしい。
アレクサンドロス軍の兵士が現地に留まったその末裔という説がある。
 
で、気になるのは彼らの太鼓。正倉院御物の「腰鼓(くれのつづみ)」にそっくりな形の太鼓がある。
シルクロードの西の端と東の端、ギリシャ正倉院とが、カラシュ族を介して、繋がる。
 
ただ、さかんに観光の対象にされて、環境汚染が問題になってるらしい。