絶対的大きさ

幼稚園くらいの頃、熱を出すと、身の周りのものがものすごく遠くにあるように見えることがあった。

寝ていて、天井の蛍光灯を見て、それが発動してることに気付く。「小さく見える」と表現してたけど。

 

物の大小や、対象物までの距離は、相対的に、ゲンゴロウはコガタノゲンゴロウよりも大きい、とか、あの世は遠いけどカーディフよりは近い、とかでしか決められない。

 

熱を出してる時、その相対的関係は、平熱時と同じである。天井の蛍光灯が他のものに較べて小さい、のではない。なのに「小さく見える」という感覚は、何なのか。

ふだん、相対的大きさの他に、なんとなく、これの大きさはこのくらい、というイメージがあるのだろうか。「あれより大きくそれより小さい」ではないその物の大きさを仮定してる、日常の動作の円滑のためにそれが仮定されてる、それがバグってたのだろうか。

大きさの「絶対」を仮定するメカニズムがバグったために、物の大きさに絶対はない、という実相を正しく体験してる、熱を出した時の状態は、そういうことだったのだろうか。

 

「遠くにあるから小さく見えてるのか本当に小さいのか判らない」というのとも違うんだなあ。「遠くにあるから実は大きい」でも「小さいから実は近くにある」でもなかった。

あと「近くに見える、大きく見える」という発動のしかたはしたことがない。

 

 

小学生の頃、満月の直径がどのくらいに見えるか問われて、ふだん感じてるとおりに「10cm」と答えたら「そんなに小さいの?」とびっくりされて、ぎゃくにこっちがびっくりした、ということがある。

もし月が、向こうの家の屋根の上にあるように感じれば、直径は2メートルだし、山並みの上にあるのなら、数十メートルだ。

そういう決め方ではない何かの感じ方があって 10cm に見えるとしてた、その感じ方の根拠は何だったんだろう?