【今回のあらすじ】『ペレアスとメリザンド』の「夢見る音楽」を演奏するからといって、指揮者デゾルミエールその人も「夢見る人」とは限らない。夢見る音楽を演奏することが現実の政治的抵抗である場合がある。
偶然見つけた御記事。
「Front National des Musiciens はドイツの文化的な支配に直面して国民精神を育てるのを助けた。フランス音楽を振興することを通じて、フランス中の孤立した人々を結びつけた。希望を刺激する歌で人々の精神を高めた」
私はデゾルミエールの名前をドビュッシー『ペレアスとメリザンド』全曲盤の指揮者としてしか知らなかった。
私の、ことドビュッシーについての思いは、ちょっと複雑。
例えばバッハやベートーヴェンについてなら、新解釈の演奏でイメージが刷新されてゆくのを面白がれる。
ドビュッシーでも『海』についてならそれでいい。でも『ペレメリ』となると、アバドに喝采しつつも、もういっぽうで「私の思う、本来のドビュッシー」を大事に抱えてる。
その「私の、本来の」ドビュッシー像にいちばん近いのが、デゾルミエール盤。
といいつつ、デゾルミエールその人については全く調べたことがなかったし、音楽と政治の関わりについて考えることも、ふだん、しない。
なのでこの御記事はわたし的に貴重。
『ペレメリ』の浮世離れした音楽。その浮世離れのイメージを、演奏者デゾルミエールにまで敷衍して負わせてしまってた。その彼がじつは反骨と行動の人だった、という認識の刷新。
作品が浮世離れしたものであろうと、それを演奏に掛け、自国の音楽文化を守るのに、現実の戦いをせねばならないことがあるということ。
夢見る人であるからこそ、夢見ることを貫徹するために、現実の抑圧と闘う、というべきだ。
なんなら、メリザンド登場開口一番の訴え「触らないで!触らないで!」が、ナチ占領下のフランスの状況のように思えて来さえする。
日本語版ウィキの「ロジェ・デゾルミエール」の項は、「経歴」「初演歴」についてのごく簡単な記述のみ。*1
ユダヤ人であるがゆえにアメリカへの亡命を余儀なくされたミヨーももちろんやりきれないが、フランスとドイツが戦うのを、わが身を引き裂かれる思いで最も苦悩したのは、オネゲルだったかも知れない。
追記 2023年09月22日
全曲盤から、第3幕第1場とそれに続く間奏曲の箇所、14分間です。今はこの、数分ごとに細かく切り刻んだものしか上がってない。さもなくば1動画2時間36分のものか。
*1:追記 2023年11月25日
今はより詳しくなってる。