Ursula Holliger(ハープ)

音楽の構造を建築に例えることがあるけど、私自身は音楽をそういうふうに捉えることがない。

建築は、建たねばならない。音楽は、むしろ出鱈目であればあるほど面白かったりさえする。

建築は重力と闘う。力をコントロールし、いなし、受け止める数学に、間違いがあってはならない。「正しさ」が全ての工程を貫く。

音楽は、初めから重力から自由である。土台をまず作ってその上に積み上げるのではなく、いきなり空中に、線を絡ませ、色を置くことが出来る。そしてそれは常に、漂い、動いている。

 

前回に続いてドビュッシー「フルート、ヴィオラ&ハープのソナタ」の話です。ウルズラ・ホリガー盤のことを思い出していたのだった。

ウルズラ・ホリガー(ハープ)、ペーター - ルーカス・グラーフ(フルート)、セルジュ・コロ(ヴィオラ)、1987年リリース。

こんなに「堅牢に構築されたドビュッシー」は珍しい。ドイツ古典・ロマン派を扱うのと同じ手つきで、「漂う雰囲気」を、一切信用しないというふうに度外視。「間」を認めず、顕在する「音符」どうしの関係だけで音楽を組み立てる。

もともと私はドビュッシーに「フランス的雰囲気」を求めてないし、何を指してそう呼ぶのかも皆目解らない。作曲者のデッサンの意図を曖昧にしてまで奏者が勝手にテンポ・ルバートを掛ける流儀とか(と言いつつ思い浮かべるのはチェリスト、モーリス・ジャンドロン)、洒脱な垢抜けとかパリのベル・エポックの空気とかいらない。これと、上述の「作曲、音組織の問題としての」「空中を漂う音楽」観とは、峻別せねばならない。

ウルズラ・ホリガーはルックスがアイドル的だが、その付加価値で手出しすると、しっぺ返しを食う。夫君はオーボエハインツ・ホリガー