生産性の対義語は、非生産性でも破壊性でもなく、創造性だと思う。
作曲における生産性って判らない。生産性のための作曲という発想は存在し得ない。
生産性のために排除されるものがまさにイコール作曲がやってることと言って大きく間違ってない。
生産は「同じ物をたくさん作る」だ。その唯一の目的のために効率を最大にし、工程を規格化する。
生産された物は、「用途」に沿って消費される。
作曲能力は創造する力だ。生産の役に立たない、というか関わりようがない。
ロックって楽器なに使ってるかがウリになっちゃうとこある。オルガン・ロックとかメロトロン・ロックとかヴァイオリン・ロックとか。
評論家が便宜のためにそうカテゴライズするだけで、ミュージシャン側が「メロトロン使ってます」をウリにするという安直はまさかまさか無いだろうけど。
これの 0'14" 目のベースのメロディが頭の中でグルグルを始めたのだが、咄嗟にこの曲だと同定できなかった。
ギターの音色で脳内再生されてしまったからだし、これ↓のイントロが連想されて、邪魔されたから。
その経緯があって、両曲のイントロの造形に共通点があることに気付いた。
トゥッティの和音の連鎖をモニュメンタルに聳え立たせ、その合間のソロ・パート(スクワイア曲におけるスクワイアのベース・ソロ、ジェネシス曲におけるハケットのギター・ソロ)との掛け合いに造形する。
「気付いた記念」に、私の「シンフォ」では、0'51" 目~のラウド部分で、両曲のイントロからひとふしずつ、パクらせて頂きました。
もともと中間部をロックにするプランではあったけど、同じAメロをアレンジだけ変える(ドラム、ベース、ギターを加える)だけでも、おっ!と思わせる効果がある、という安直な料簡だった。それは避けられた。
「シンフォ」という合言葉には、そういう創意の無さをも「らしさ」として言い訳させる機能がある(私個人のシンフォ観です)。
この季節、偏食はいけない。セコマ北海道メロンソフト、セコマ北海道メロンモナカ、セコマ北海道メロンアイスクリームなどのヴァリエイションを。