禁じ手を設ける

「〇〇(楽器名)使ってます」はウリにならない。と前回書いた。

「〇〇使ってません」はウリになるだろうか?

 

というとロック聴者がまず思い浮かべるのは、Boston の 1st. アルバムの但し書き

No Synthesizers Used

No Computers Used

だ。

私は Boston よく知らないので、「音色の多彩さがギターのエフェクト類によるものなこと」を言ってるのだと思ってたけど、それ以上に、作曲、演奏、ミックス含めて殆どショルツ氏ひとりでやってること(他人の手になる作業もショルツ氏の指示通りなこと)、膨大な作業がすべて手作業なこと、が重要なようだ。

 

私はあと、YAS-KAZ「縄文頌」が、すべてアクースティックの打楽器類だけで作られてる、シンセ使ってない、のに驚いた。

 

これらはウリになるし、創作の、発想の契機、態度の根本にかかわることとして、「禁じ手を設ける」ことには意味がある。

 

「シークエンサ使ってません」な人力テクノとか。

 

私が KORG01/WFD 1台だけで作業するようになった経緯は昔アメブロで書いたけど(今はない)、つまりはそれしか使い方知らないし、手近にこれしか機材が無いからです。ウリにならない。

関連記事:

「KORG01/WFD(ハードシンセ)1台の中で全工程を完結させることは、美学ではない。怠慢だ」

「ぜろわん君1台でここまでやってスゲエ、とは思う。いっぽうで、機材刷新でクリアできることはさっさとクリアして、そのうえでの創意に進め、とも思う」