ジョニィへの伝言
詞:阿久悠、曲:都倉俊一
演奏:ペドロ&カプリシャス
1973年
私の関心は都倉俊一の作曲にある。
歌い出して、
「ジョニィが来たなら伝えてよ」
たった1行、たった2小節で、TSDT のカデンツを1回完結。
こんな例は、他には『モスクワ郊外の夕べ』しか無い*1。
そのあと、繰返しをやらず、創意を以て造形されたメロディを惜し気もなく繰り出す。
「曲全体がサビ」状態。こんな例は他には『明日に架ける橋』しか無い。
コーラス1巡目終わり
「この町は」
は、半終止。歌い出しでいきなりカデンツ完結した「きっぱり」との、対比というか、帳尻合わせというか。これも創意。
私はこれを「ラジオ深夜便」で知ったのだが、村田昭アンカーが、リリース当時「歌詞が斬新な印象だった」と証言なさって、曲には一切言及なさらないのが不満だった。
世間の受け容れ方の典型ではあるのだろう。
本物の「詩」である『愛燦々』(小椋佳)よりも、空疎なフレーズを羅列した「似非」の見本である『川の流れのように』(秋元康)のが売れてしまう世間に何を期待しろと。
怖るべき「一部形式」。何のことはない、要するに「曲全体がサビ」なのである。
シンコペーションで撃ち込まれるコーラス。
イントロ→歌い出しの転調。
「あなたのことだから」が、次の小節で和声がトニックに進むのを待ちきれずに、半拍前、ドミナント上で「メロだけ終止」。これを典型とする「メロの造形」。
筒美京平作曲・編曲の『魅せられて』こそ「造形の鬼」だけど、これについては別の機会に。
*1:『モスクワ郊外の夕べ』は2/4拍子なので「8拍」ではあっても2小節ではなく「4小節」だけど。