私が自分で買った最初のCDは、ストラヴィンスキー「ペトルーシカ」ブレーズ/クリーヴランドか、King Crimson "Starless and Bible Black" か、どちらか。
私はプログレのCDをあまり買わない人だった。叔母の書斎でアナログ盤を聴いて過ごして判った気になってたし、メジャーどころに対しては、熱意のピークが、自分でCDを買い始めるタイミングとずれていた。何を隠そうクリムゾンは "Starless and Bible Black" と "Lizard" しか持ってない。
"Starless and Bible Black" のCDのエディションが何種類あるか知らない。私が買ったのは(いま手許に無いので不確かだけど)1989年にフリップ御大御自らリマスターした、当時 'The Definitive Edition(決定版)'と目されたものだと思う(もう1人、共同作業者名がクレディットされてた気がする)。
このアルバムについても私はアナログ盤で馴染んでた。なのでリマスターには違和感を覚える点が、2つ、あった。
①ノイズリダクションの行き過ぎ。ライドシンバルの減衰のしっぽがフッと立ち消えになり、'We'll Let You Know' 前半のような静かな箇所でこれが目立つ。
② 'The Mincer' の終わり方。
この曲は最後、演奏続行中にテープが尽きたかのように、一瞬音像が揺れて強制終了する。この突然の中断が積極的にかっこいいのに、リマスターでは、ここにわざわざリヴァーブが掛けられている。誤魔化すように。「テープ切れ」が消極評価の対象であるかのように。
というか、「テープ上にリヴァーブ処理を含むミックスが録音されてる」場合と「リヴァーブの中にテープ再生がある」場合とでは、「テープ切れ」の音楽的意味付けが全く違ってくるではないか。
前者の場合は、「テープ切れ」によって、演奏、録音、ミックス、の「全てが終わる」。
後者の場合は、「テープ切れ」含めて「テープ演奏」として扱うからこそ、そこにリヴァーブを掛ける。フリップは「全ての終わり」の中にいて諸共に消されるのではなく、「全ての終わり」という「作品」の外にいて、これを管理する。
この曲はアナログ盤でいうとA面ラストの曲で、この曲の終わり方が乃ちこの面の終わり方。
このエディション以前の、アナログ盤と同じマスターのCDは無いのか?と Discogs を見ると、どうやら最初のCD化は1987年で、これが私の求めるものなのかも知れない。まあ総合的に見てリマスターの方が優れてるにちがいないけど。
↓これは、いつのエディションか判らないけど、私の聴きたかったのと同じ終わり方だ。
↓これが私のCDと同じリマスターかな?
クリムゾン中このアルバムだけ買ったのは一番好きだから("Lizard" は 'Lady Of The Dancing Water' を耳コピする必要から買った)。
以前アメブロでも書いたけど、私は『宮殿』、ことに「エピタフ」が嫌いだ。
①陳腐なコード進行を
②4×4×4の硬直した尺の大枠の中で
③白玉コードで埋めて
④繰返す
⑤雰囲気の
音楽。
つまり私にとって最も縁遠い「叙情派シンフォ」の元祖にして典型。
叔母の書斎で、プログレの名盤を、それぞれの独自の創意にびっくりしつつ聴き進んで、『宮殿』に行き当たる。でも「まとめ過ぎ」でワクワクしなくて、以来今に至るまで、ピンと来たことがない。