むかし武満のドキュメンタリーでワンシーン、印象に残った。
仕事場で、難しい顔でピアノに向かって作曲する武満。
響きを探り当てようと鍵盤をまさぐる指が、おもむろにドビュッシー『子供の領分』第5曲「小さな羊飼い」の一節を弾きだす。
笑ってしまった。
なぜ笑ったか。武満の曲調や作曲態度のシリアスさと、可愛い「小さな羊飼い」とのギャップ、ということもあるが、もうひとつの別のことを思い出したからだ。
「小さな羊飼い」第19~20小節。
(画像を継ぎ接ぎしたのでスラーの書かれ方が不自然です)
篠山紀信のヴィデオディスク作品「シルクロード 光と風と音」に武満が付けた音楽を抜粋・編集したアナログ盤(田中賢作曲含む)が実家にあった。その中の1曲中に、この2小節の引用と聴こえる箇所がある。
このメロディは、メシアンの「移調の限られた旋法」第2に沿っている。ドビュッシー~メシアン~武満の系譜を集約的に見る思いだ。
件のシーンで、これを思い出したのだった。響きをたずねるとき、立ち返る拠り処というのがあるのだ、と思った。
ツイッターでフォロー申し上げ、ひそかに思いを寄せる レイ 氏の御ツイートに、返信差し上げたことがある。
— レイ / あゆみ (@bougainvilleae) 2013年9月7日
@bougainvilleae ショパンが無意識裡にせよ既にやってたことをスクリャービンの耳が拾い出し意識化・方法化し継承した、ということでしょうか?ドビュッシーの’The Little Shepherd’の一部が「メシアンっぽい」みたいに。
— 新海智子 (@coccyx_T) 2013年9月8日
ドビュッシーは「耳」だった。音組織について最も敏感な「耳」。
だが「分析」を「神秘を冷然と殺すもの」として好まなかった。
私「ビートルズの 'Getting Better' いいですね! XTC みたいで」
K氏(元・早稲田ビートルマニア会長)「逆だ」
というやりとりなら昔あった。
ところで 'The Little Shephard' を「小さな羊飼い」と訳すのは、正しいだろうか?
「羊飼いの少年」ではないか?