小さな羊飼い

むかし武満のドキュメンタリーでワンシーン、印象に残った。

仕事場で、難しい顔でピアノに向かって作曲する武満。

響きを探り当てようと鍵盤をまさぐる指が、おもむろにドビュッシー子供の領分』第5曲「小さな羊飼い」の一節を弾きだす。

笑ってしまった。

なぜ笑ったか。武満の曲調や作曲態度のシリアスさと、可愛い「小さな羊飼い」とのギャップ、ということもあるが、もうひとつの別のことを思い出したからだ。

 

「小さな羊飼い」第19~20小節。

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(画像を継ぎ接ぎしたのでスラーの書かれ方が不自然です)

篠山紀信のヴィデオディスク作品「シルクロード 光と風と音」に武満が付けた音楽を抜粋・編集したアナログ盤(田中賢作曲含む)が実家にあった。その中の1曲中に、この2小節の引用と聴こえる箇所がある。

このメロディは、メシアンの「移調の限られた旋法」第2に沿っている。ドビュッシーメシアン~武満の系譜を集約的に見る思いだ。

件のシーンで、これを思い出したのだった。響きをたずねるとき、立ち返る拠り処というのがあるのだ、と思った。

 

ツイッターでフォロー申し上げ、ひそかに思いを寄せる レイ 氏の御ツイートに、返信差し上げたことがある。

ドビュッシーは「耳」だった。音組織について最も敏感な「耳」。

だが「分析」を「神秘を冷然と殺すもの」として好まなかった。

 

私「ビートルズの 'Getting Better' いいですね! XTC みたいで」

K氏(元・早稲田ビートルマニア会長)「逆だ」

というやりとりなら昔あった。 

 

ところで 'The Little Shephard' を「小さな羊飼い」と訳すのは、正しいだろうか?

「羊飼いの少年」ではないか?

 

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