傷心からの彷徨

八千代台から千葉ポートタワーまで歩くのを日課にしてた。

花見川沿いに東京湾まで出るんだけど、ある時、千葉市にはモノレールがあると気付き、ルートを変更して途中にモノレールを挟んだことがある。

生涯初めての「懸垂式」*1

その後リピすることにならなかったのは、ワクワクの期待の大きさに比して、納得いかなさがあったからだけど、何にがっかりしたのだったか、昔のことで、具体的には憶えてない。

たぶん、懸垂式に(私が)期待することといえば、その内訳の大半が「窓からの眺め」「俯瞰・睥睨」で、車体の作りがこれに優先的に配慮したものじゃなかったんだと思う。窓が小さいとか、水平方向しか見えないとか。ふつうに電車に乗ってるのと変わらない。

窓を低い位置まで大きく抉るとか、いっそ床をガラス張りにするとか、でないと、わたし的には懸垂式モノレールに乗る意義が無いのだった。

 

千葉市を遊園地と見做した私が間違ってる。

 

花見川沿いと違って、街中の道中は殺風景だった。

 

 

3度ほど、駒場に迷い込んだ記憶がある。当時バイト先が代々木上原で、徒歩で通勤途上の出来事と思われるが、問題は「どこから」歩き始めたのか、だ。

うち1度はたしかに、西小山の自宅から2時間かけて歩いた時だけど、残りの2回は何だったのか?

……そうだ、ノア池尻大橋だ!

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目黒川に架かる池尻大橋

「徒歩で通勤」は、電車代をケチったのではなく、傷心からの彷徨だな。

紙の地図を携帯しています。

 

 

その前にどこにいて何をしてたのか全然思い出せないんだけど、夜の京都の街を彷徨ってた。

京都駅の待合室で、始発までここで夜を明かそう、とベンチに腰掛けた。

ところが放送があって、閉めるから出て下さい、とのことだった。

四条河原町まで歩いたけど、地下道の入り口は閉まってた。

立ち止まってるよりも始発までの間に距離を稼いでおこう、と今考えるとイミフの判断のもと、四条通を西に向かって歩き出した。

阪急京都線が地上に現れたのでこれに沿って歩く。桂駅まで歩けそうだな、と思ってると、桂川に突き当たった。

電車は今日の営業を終えてるから、鉄橋を歩いて渡ることも不可能ではない。

けど結局えらく大回りをして、車道の橋を渡って、桂駅に辿り着くと夜が明けた。始発に乗って……そのあとどこに行ったのか憶えてない。私はなぜ西に向かってたのか??

 

 

私は傷心すると彷徨*2する習性があるし、傷心は放心で、さなかの記憶がいろいろ飛ぶ。

*1:ユーカリが丘線には、これに乗るためだけに乗りに行ったことがある。あれは「跨座式モノレール」といっていいんだろうか?

追記 2021年11月05日 ツイッターでご教示頂いて、ユーカリが丘線は AGT という新交通システムで、モノレールとは別物とのことでした。

*2:「彷徨」の変換の順位低い。たしかに傷心すると咆哮もするけど。