#海の日 2

私にとって海は映像か画像で見るものだった。本物の海を初めて見たのはほんの数年前。

花見川沿いに気持ちの良い遊歩道が続いてるのを発見、距離を伸ばすうち、ついに東京湾に出た。

時には海岸線に沿って、最長不倒は千葉ポートタワー。この時は流石に、帰りは電車にしたけど。

逆に花見川を上り新川を下って、印旛沼畔の、オランダ風車のチューリップ公園を見つけたり。

 

海の日に、海そのものではなく、海の「音楽」の話題に終始するのは、海が私にとって縁遠いものだから。

ただ、私は標題楽ないし描写音楽を好まない。私はドビュッシー『海』を、純粋にコンポジションで、好む。

海や、一般に自然が、音楽の仕組みを考えるヒント、お手本になる、ということは大いにある。また、自然の現実空間の中での音の振舞いを面白がる私だし、音自体が物理現象=自然だ。

でも『海』は断じて「描写音楽」じゃない。

だからこそサティの、『海』第1曲「海の夜明けから真昼まで」への感想

「11時45分のところがとくに良かった」

の皮肉が効く。

 

海への憧れは?

たしかに私は、船乗りになってロープを結びたかった。

明らかに、アレクサンドル・ステパノヴィチ・グリーン『深紅の帆』の一方の主人公、アーサー・グレイの影響だ。

 

私のニックネームは一貫して「しんうみ」だった。

 

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